国母和宏は日の丸に向かって謝罪すべきである

服装がだらしなかったために入村式に参加出来ず、そのことを会見の席でマスコミに問われて「反省してまーす」「チッ、うっせーな」と言った

国母和宏が謝罪したそうだ。

 国母選手はバンクーバーに移動した際、公式ブレザーを着用しながら、ネクタイを緩め、ズボンを腰の低い位置まで下げるなどしていた。また、10日に開かれた会見では「反省してまーす」と語尾を伸ばして語ったが、反省の色が見られないとの批判も出ていた。

http://mainichi.jp/select/today/news/20100213k0000e050003000c.html

しかし、国母は何に対して、なぜ謝罪させられたのか、分かってなどいるまい。
あえて言うが、国母和宏は日の丸に対して土下座して詫びるべきだ。そしてそれを望む人も多いはずだ。
なぜ詫びなければならないか、教えてやろう。国母の罪は「だらしがないこと」だ。
「だらしなさ」は規範意識が欠如していることの象徴であり、規範により守られている社会に対する重大なる挑戦だからだ。


国母には親しんでいるストリート文化があり、そのストリート文化の中では当たり前のような行動をとったつもりでいるのだろう。ストリートの規範をきっちり守っていて、その意味では規範というものに対する意識が高いと言うことも出来る。
俺はストリート文化についてはよく分からないが、俺の目には不潔にも見えないし、一定のセンスも感じる。しかしそんなことはどうでもいい。


問題は、現在の日本の国体が単一民族による単一文化という幻想の上に成立していることにある。もちろん規範も単一である。日本文化においてはストリートの規範なぞ、一円の値打ちもない。
日の丸はそんな日本文化と日本の国体を象徴する旗であり、国母和宏が日の丸を背負っている以上、マイノリティは服従すべきであり、あるいは排除されるべきである。
ストリート文化などというマイノリティを主張することは、背負っている日の丸に対する最大の裏切り行為であると言うべきである。


単一文化しか認めない社会において、マイノリティを主張することとは民族問題と同質の問題を抱えこむことでもある。
なぜなら「民族」とは

一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいう。

民族 - Wikipedia

のだから。民族は決して血縁やDNAを基準にした集合体ではない。


ただ「民族問題」と大きく違うのは、マイノリティとマジョリティの区別が戸籍や国籍による硬性のものではなく、マイノリティとマジョリティの境界線の行き来が自由だということにある。そしてマイノリティに追い込まれて初めてこの国の正体を知る機会が与えられるにも関わらず、目を背けて問題をやり過ごして、マジョリティに戻ってマイノリティを攻撃する衆が多いことだ。


国母和宏は日の丸に対して土下座をして謝罪するべきであり、願わくばその直後にこのクソったれな日の丸を土足で踏みにじって欲しい。なにより日の丸を背負わず、力を尽くして戦ってくれることだけを望む。


まあしかし俺も日本人だけど、こんなことで国母を責めてる日本人が理解出来んよ。
腰パンのヒップホップファッションが謹慎モノで、黒い紐パン丸出しが公式コスチュームって意味わかんね。

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んで、偉そうにしてる選手に関しては、
勝ってから偉そうにしたほうがいいと思う。

http://alfalfalfa.com/archives/385758.html

馬鹿じゃねーの?
国母は勝ってオリンピックに出てるんだろうが。だから偉そうなんだし、つーか偉いんだよ。
少なくともてめーみたいに、あめぞう掲示板が組織的と思われる荒らされ方をされて、あめぞうさんが後手後手ながら必死に対応してる時に、てめえの掲示板(2ちょんねる)の宣伝コピペを貼って歩いて今の地位を築いた、そんなクソSPAM野郎に、他人の行いをとやかく言える筋合いがあんのか、このクソが。


最後にこのエントリは必見。

國母選手は実に正しくスノーボード文化を表現していた。

プロパガンダファクトリー:スノーボーダーの「品格」 - livedoor Blog(ブログ)

俺が感じていたもやもやが全て腑に落ちた。