ルワンダの涙

ルワンダの涙」を見た。シネギャラリーでの13:00の回。客入りは20人ほど。

恐らく今年一番印象に残る映画になるだろう。

虐殺シーンそのものもそうだが、知り合いが虐殺者になっていく姿はさらにえぐい。

画面としては、演出オーバーなあざとさが目につく部分が多い。死体が出るぞ出るぞ〜と思わせていきなり犬が吼えてビックリとか、わざわざ草陰に引きずって行って間を取ってから鉈を振り下ろすとか。

ただこれだけ濃い味の内容だから濃い味の演出であることが決して不自然ではない。

「神はどこにでもいる」と神父が言った。

教壇で子供に問い詰められた主人公の青年への助け船として。

ありがちな説教だ。ああ、そうですか、で、中味あるの?って話だ。

権威主義の権化にも見えるこの神父、流入した難民が食料と燃料に困っても儀式が優先、難民の死が明日に迫っている事実を隠して神の名の元に祝福をする。

出来るだけの事をした、欧米人だけ助かる機会を逃すな。そうせかされうつろな目でフランス軍のトラックに乗りこむ青年の目に、難民とともにある神父の姿が映る。

フランス軍が去った後に学校のトラックの荷台に子供を乗せ、立ち去る。

「次の用意をしておけ」の言葉を残して。しかし次がないことを大人は知っていた。

神父のトラックは旧知の虐殺者に止められる。虐殺を前にして言う。

十字架にかけられたイエスに通じることを、イエスと同じ姿で。

神の愛を感じる、と、暖かい気持ちだ、と、全ての罪を赦して言うその瞬間、神父はまさしく神の子そのものだった。

虐殺者に追われる中でも新たな命が生まれる。旅の途中に借りた馬小屋で

産まれたイエスのように、決して清潔とはいえない暗い小屋の中で。

ここにも神の子は存在した。

この映画では「感情のマヒ」が一つのテーマになっていると思う。

虐げられてきた者は積年の恨みが復讐心として固着して感情をマヒさせる。

軍人は命を懸けて命を奪うという立場上、命令に服従という形式で感情をマヒさせる。

宗教者は愛の存在を信じるために、親はこの苦痛を軽減させるために、少女は恋のために。

ただ1人、感情がマヒしなかったのが主人公の青年だと思う。

狂気の中でただ1人、俺達と通じる感情を持つ者。あるいは俺達同様に無力な先進国の個人、

そこからの視線だからこそ、英雄視線の「ホテルルワンダ」と違って、生の意味が無防備な俺達の心に鉈となって振り下ろされる。