押印廃止とブルーインパルス

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コロナが収まった記念にみんなが大好きなブルーインパルスを飛ばしてみんなを喜ばせた河野太郎が、みんなが大嫌いなハンコを廃止してみんなを喜ばせようとしています。

でもブルーインパルスを飛ばしてもコロナは収まらなかったよね。コロナが収まってたらブルーインパルスを飛ばした手柄で河野太郎が総理大臣になってただろうから、残念でしたね。

 

それはさておき、ブルーインパルスを飛ばした件で否定的なブコメをしたらネトウヨが逆上したように、ハンコ廃止に否定的なコメントをしたところ、またネトウヨが逆上しています。

ネトウヨが逆上したところで、ネトウヨが逆上しているな、としか思いませんが、ハンコ廃止は仕事に密接に絡んでくるので自分の整理のためにも多少書いておきたいと思います。

 

保険に関することって、法律論や手続き論だったりして分かりにくくて、なんかのニュースをきっかけに無知なネトウヨが逆上してすぐに忘れる、ということの繰り返しです。ハンコ廃止もその一つだと思います。

 

行政手続き上の押印 「認め印」はすべて廃止の見通し | 菅内閣 | NHKニュース

認印はマジで意味わかんない。三文判でいいんで~とか100均のでかまわないんで~~とかなんの意味もないし、持ってなかったらダメだし害悪でしかない。

2020/11/13 09:00

 

マジで意味わかんないそうなので意味を説明するところから始めましょう。

というか民事訴訟法228条4項「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。」に尽きるんですけどね。

一部でこれが民事訴訟法22条とかいう人もいますが、それどっかのパクリです。どっかというか、どこのパクリか分かりますけど。

 

「推定する」ということですから、確定はしていません。あくまで推定。

そもそも民法では契約等は口約束でも成立します。ただ口約束ではトラブったときの証拠がない、だから文書にするのです。トラブらないのであれば、そもそも文書にする必要がありません。ここ重要なところ。

 

で、押印か署名があれば契約等が推定されますが、なければ推定されません。

これって意味ですよね?

 

行政手続き上の押印 「認め印」はすべて廃止の見通し | 菅内閣 | NHKニュース

保険関係で私文書偽造が、というコメントがありますが、すでに自動車保険はオンラインで契約できて、押印不要です。

2020/11/13 09:18

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押印不要です。 (`・ω・´)キリッ

ゲラゲラ、としか言いようがなくて。すみません、自己紹介が遅れました。

私は10年ほど前にパソコンの大先生をやっていて、ある損保会社でオンラインで契約するシステムを作ったので代理店に説明する講習会の講師をやる、という仕事を受けたのが保険業界に入るキッカケでした。

ところがその講習会ではシステムの質問ではなくて保険の補償内容に関する質問が飛びまくり、やむを得ず自力で勉強したところからこの業界に入ってます。

 

行政手続き上の押印 「認め印」はすべて廃止の見通し | 菅内閣 | NHKニュース

保険の契約書を(受付担当者が不審に思わないレベルで)偽造しようって人間が100均のハンコを買う買わないで躊躇するかよwww

2020/11/13 12:45

不正利得目的で請求するとなればそうでしょうが、実際の私文書偽造は契約者の利益を計ろうとして行われるものです。

たとえば現に私のバイクの自賠責保険がそうですが、馴染みのバイク屋が私の認め印を買って持っていて勝手に更新しています。次にオイル交換に行ったときに保険料を支払えばいいので便利ですが、これ私文書偽造ですよ。

認め印システムがあってもこのありさまで、こういう代理店は昔ながらのところで少なくありません。でも私文書偽造ですし、保険会社にバレたら大問題です。でも実際は見て見ぬふりしてるのを知ってます。

 

あと有りうるのは保険金請求の手続き。

行政手続き上の押印 「認め印」はすべて廃止の見通し | 菅内閣 | NHKニュース

保険って数年前からすでにサインのみの流れじゃない? 農協の共済だって今は支払い請求以外は署名のみで印鑑不要だったよ

2020/11/13 12:51

そりゃそうです、肝心なのは支払い請求。じゃあなんで支払い請求は印鑑が必要なのって考えないんですかね?

実務で厄介なのは、事故を起こして保険金を請求出来るんだけど、怖いのかなんなのか知らないけど逃げちゃう人。んなもの払わなきゃいいじゃん、って思われそうですけど、認知していて払わないって、不払い事案で金融庁から怒られますよ。

で、面倒な手続きがあるのですが、保険料を引き落とす口座が分かってたら、そこに振り込みたくなりません?そういう私文書偽造だってありえます。

 

あと俺の仕事で関連していうと、本人が出す書類を代行して作っています。

今は本人に書類を見せて説明して同意とハンコをもらって提出していますが、ハンコ要らなければ電話で適当な説明して丸め込んで、本届に同意してもらったことを口実に付随した書類まで同意したか分からないうちに出しちゃうかもな。

三者行為災害届についてる念書同意書とか、法律的には当然のことなんだけど損害賠償権放棄の条項を理解してくれない人がたまにいるもん。

 

ここまで私文書偽造って、ただでさえハードルが低いということを解説してきました。

 

行政手続き上の押印 「認め印」はすべて廃止の見通し | 菅内閣 | NHKニュース

私文書偽造のハードルが下がるとかまじで意味がわからんw不正を行う人が100円のはんこで思いとどまるロジックを教えてくれよ、自称玄人さんw

2020/11/13 13:14

はい、ここまでで説明してきましたけど、まだわからなければコメントください。

 

行政手続き上の押印 「認め印」はすべて廃止の見通し | 菅内閣 | NHKニュース

通常の行政手続きなんかは申請書の提出&本人確認書類の提示で十分。書面申請となる重要手続きでは実印&印鑑証明はまだ比較的リーズナブルだと思う。マイナンバーカードの電子証明書がもう少し使い勝手よければね。

2020/11/13 09:58


最初にも書きましたが、要は契約や行政手続は本人確認なんかしなくても行えるのですよ、法律的には。問題はそれをどう立証するかで、本人確認書類の提示と捺印とどっちが簡単で、どっちがいつでも誰にでも分かるか、という話なのです。

たまに窓口で免許証番号を控えたりしますけど、免許証番号を控えてあることで本人を確定できるんですかね?免許証を発行している公安委員会ではその番号が誰のものか、教えてくれませんよ。

とはいえ、トラブったときに本人が持ってる免許証番号と控えてある番号が一致することで「推測」は出来ますよね、あんな数字の羅列が一致することは確率的にはあまりありませんから。

あとは推測の材料としてどうなんだ、ということなのです。

いま河野太郎がやろうとしていること、経済産業省の説明によると

「他の方法によっても文書の真正な成立を立証することは可能であり」

https://www.meti.go.jp/covid-19/ouin_qa.html

可能だけど現実はどうなのよ、契約している瞬間を録画して保存でもしておくのか、確かにそっちの方が確実だけどそっちの方が手間じゃないのか、ということです。

そもそも、文書の真正な成立は、相手方がこれを争わない場合には、基本的に問題とならない。」

そりゃそうでしょ、もともと争う場合に備えたシステムを廃止する説明として、争わない場合を持ち出すって、どういうことなのよ?

「「重要な文書だからハンコが必要」と考える場合であっても押印以外の手段で代替したりすることが有意義であると考えられる。」

だからその手段はなんなの?

その手段を整備してからハンコ廃止というのは理解できるけど、そうでなければハンコをもらう側に一方的なリスクの押し付けになってませんか?

 

と言いたいんだけど、そもそもリスクを押し付ける自覚のない衆がヒャッハーしてるのが脳内にブルーインパルスが飛びまくってるネトウヨの跋扈するネットというもので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

証拠を残すという付け焼刃の猿知恵

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公務員ってのは証拠が残らなければ仕事をしてくれない、というのはある意味事実だけど、じゃあ証拠を残せば仕事をしてくれるかと言われると決してそうではなくて。

証拠を取ってますよ、という態度で迫れば、証拠を残せばいいんだろ、って対応されるのが関の山。

下着泥棒を110番して対応してもらう?

トロールしました、って証拠が残されるだけだよ。いや、正確に言うと、この時間に警察官がこの場所に行きました、という記録が残されるだけ。

めんどくさいなー、って通り過ぎるだけかもしれない。

それで満足なら、どうぞ。来ないよりはマシという考え方もある。

 

公務員にとって証拠は強制力。

強制力を行使されてする仕事って、どうよ?自分がやられる身になってごらんよ。

証拠ベースで仕事をし始めたら、証拠を残すことだけが目的になる。

俺なんかは今、補助金もらって事業を進めてるけど、事業より証拠を残す方が大事で、証拠をとりやすいようにベストの仕事から形を変えたりするもんね。機材の購入だってほんとはメルカリで中古で買うのが安くていいんだろうけど、証拠的な事情があって割高の業者から買ったりとか。

 

まして批判慣れしてる公務員に、付け焼刃の猿知恵でよくあるエビデンス主義を振り回したところで、それなりに扱われるだけなんじゃねーの?

 

逆に、証拠の残らないところでなら話は別。

これは相手による。

仕事をゼニと時間の等価交換だと思ってる公務員には通じないけど、公務員には社会的使命を果たすことを目的に生きてる人も多い。

やる必要のないこと、やっちゃいけないことまで、証拠が残られなければやってくれる公務員も少なからず存在する。

組織を理解して、そういう相手を探して、人として心からお願いをしよう。当然、人としてお願いをするのなら、証拠を残そうなんて考えない。

強制力ではなく、善意に訴えて動いてもらおう。しょせんこの国は法治国家ではなく、人治国家なのだから。

 

まあ、そういうやり方をコネとも言うんだけどね。人治国家でコネを否定してもしょうがないだろ。

公園は誰のためのものか

いま仕事で演劇に関わっていて、公演のことを考えたりしてるんだけど、ここは公園の話。公園と公演の誤字はご容赦を。

 

公園はどうあるべきか、公園は誰のものか、という議論はもっとも身近な公共論のテーマとして古くからある。

へたすりゃ都市公園論という大学の講義もあるくらいの話を感情的に大騒ぎするのがいかにも、という現象。

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近代公園という概念自体は近代の、しかも西洋のものだけど、日本には古くから鎮守の森というものがあって、これが事実上の公園として機能していた。

昼間は子供が遊んでいても、夜には祟りがあるから近づくな、とか、下手すりゃ終日行っちゃいけないと禁止されてたり。

もちろんそこには宗教的な意味合いもあるんだけど、それ以上に防犯的な意味合いというものが大きくあった。

その昔、特に江戸時代以降に一般の人は移動の自由というものが存在しなかった。逆に言うと移動する人というものは一般の人ではなかった。流れ者という、色眼鏡で見られる存在だった。

一般の人で一時的に移動する人のことは旅人と言って、彼らは町の中にあるなんらかの宿に泊まった。

しかしそうではない漂流の民というものも少なからず存在していた。

その中で後世にサンカと呼ばれる人も多かった。サンカ論を広げるのは本題ではないのでやめておくが、その中には縄文人の末裔もいただろうし、単なる浮浪者もいただろう。

彼らは宿に泊まることはなく、今風に言うならキャンプをして生活していた。

ただキャンプと言っても生活の手段は獣や魚を取ったりするだけではなく、蓑や笊や竹細工を作って売ったり芸を見せたり、昭和になってからも刃物研ぎや傘直しなんかをやって、町で稼いでいた。

ただ、彼らは町には住めなかった。もちろん移動手段は徒歩しかなかったので、今みたいに車に乗ってキャンプ場に行くわけにも行かない。

だから、町のはずれの鎮守の森でキャンプをしていた。

鎮守の森に夜に行ってはいけない理由の大きな一つは、漂流の民がいたからだ。鎮守の森にいてもいいから、町に入ってくるな、という文化があった。

 

鎮守の森は昔から、キレイで好ましい町と、それ以外の好ましからざる魔界との緩衝地帯として機能していた。

公園とは本来そういう場所である。

 

ならば、公園は誰のためのものか。

 

つーか今年の春先にうちのマンションの水道のポンプが壊れて、水が出ない事件があった。

管理会社がしっかりしてるから飲み水はペットボトルで補充されたけど、生活用水に困って、近所の公園に水を汲みに行ってた。公園ってそういう場所だろ?

これがMIYASHITA PARKだったら水を汲めないよね。

警備員に水泥棒って捕まって、ネトウヨに叩かれるのが関の山だわ。なんでカフェで水を売ってるのに買わないのか、って。そもそもトイレはあるけど、水飲みはないしな。

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 なんでこんなバカみたいなプレミアついてるんだ?

公園の誕生 (歴史文化ライブラリー)

公園の誕生 (歴史文化ライブラリー)

  • 作者:小野 良平
  • 発売日: 2003/06/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

ライブ・演劇は風俗に沈むのではないか

最近は補助金をもらって機材購入してライブ配信事業をでっちあげて生き延びています。その中で今まで縁がなかった小規模ライブハウスだとか小劇場だとかと接点が出てきました。

小劇場に関しては客として足を運ぶ機会も多かったので知らない世界ではないのですが、小規模ライブハウスってほぼ無縁だったので刺激を受けています。

で、小劇場や小規模ライブハウスで動画配信を、という話がよく出てきます。でも、なかなか難しいと思いますよ、というのがこれからの話。

 

技術的な問題とか

いままでyoutubeにライブをアップしてきました、だからライブ配信をやろうと思います、というノリで配信を手掛ける小屋主やアーティストも多いのですが、あまりうまくいきませんよね。

よくきくのは「カメラを切り替えたら音が飛ぶのですが、どうしたらいいでしょう?」って、そりゃ安いセレクターを使ってたらそうなりますって。

でも高いスイッチャーは高いし、

とかリーズナブルで評判いいけど、全然入荷の気配もないもんね。

 

ま、「音が飛んだけど手作りの味でいいよね」って許される雰囲気なら、ぶっつけ本番で開始時間に「回線に障害が発生しました」で20分も客を待たせて、その様子を「ライブで配信に挑戦!」とかって静岡あさひテレビのとびっきり静岡で放送されてもいいんだろうけど、(実話ですが決して批判ではありません。あのミュージシャン割と好きです。ただミュージシャンはスタジオで、客は飲食店に集まって食べながらみんなで見る、って感染対策としてはどうかと思いますが)多くの現場はそうじゃないのでね。
怖い人に詰められる覚悟が必要。

機材も要るし、技術も要るし、そう簡単には準備が出来るものではありません。
映像の切り替え一つとっても、ちゃんとした現場にはアーティストとも言うべきスイッチャーのプロがいて、ライブだと即興で演出効果を高めるスイッチングをやってますよね。

スイッチャーだって芸術家ですよ。

もちろんカメラマンが芸術家だという話は分かりやすいでしょうし、配信の現場は何人ものプロの芸術家が支えています。

そりゃコストも上がるでしょう。

 

コストの問題とか

コストの詳細の説明は趣旨じゃないからしませんが、著作権に関していえば著作権料も手続きも今までのようにはいきません。

回線だってサーバだってそれなりにします。この辺はそれなりには変化していくでしょうが、コロナ以前に比べて負担が増すのは間違いありません。

ライブハウスや小劇場は今までだって元が取れるか取れないか、っていったら取れてない中で心意気で頑張ってたわけです。

そこに新たな負担って、とても抱えきれる状態じゃない。

 

どうするの?

だからどうするか、って、たぶん手としては3つあるでしょう。

①今まで以上の心意気で頑張る

②今まで以上に客へ経済的負担を求める

③今まで以下に質を落とす

 

というか、③は既に配信という時点で質は落ちているわけです。

生だから伝わるもの、というのはあるわけで。ライブや小演劇が好きな人にとっては価値を見出せる要素の一つです。

もちろん、そこに価値を見出せない人もたくさんいて、そういう人が気軽に「youtuberみたいにやれ」と言うのですが。

 

②について、値上げしてもいいよ、という人もいるでしょう。一方で当然値上げして離れる人もいるわけで。そもそも損益分岐点が存在しないような気もします(エビデンスなし)

少なくとも質が落ちている以上、相対的に客の経済的負担は既に増えてるともいえます。

そうなると①今まで以上の心意気で頑張る、ということが求められてきます。

 

今まで以上の心意気で頑張るとはなにか

ライブにせよ演劇にせよ、基本的なビジネスモデルとしては体験とゼニの等価交換なのですが、もう一つの要素があります。それは夢見て頑張ってる人を応援したいという本能的な欲求にこたえる、ということです。

冒頭に名前を出さなかったライブ配信がうまく行かなった某ミュージシャンもそうですが、いいおっさんが分かりやすく頑張ってるわけですよ。
大道芸人だって若い芸人が難しい技を涼しい顔して決めるのも応援しやすいですが、芸人なら普通にやる人も多いような芸を、いいおっさんが歯を食いしばって頑張って決めたり決められなかったりするのもまた、応援心をくすぐるというものです。

そこに訴える、ということになると、体験にゼニを出すのではなく、人にゼニを出す要素というのが強くなってきます。

これが演劇で行きついたところが、クラスターにもなったJINROとかじゃないんですかね。ホストまがいだと揶揄されてましたし。

男女逆にすれば援助交際まがいの売り方をしてるアイドルや女優も同じだと思います。

そういうものしか、今の形の演劇としては生き残っていけないのではないでしょうか。

 

ライブや演劇は風俗産業化するのか

音楽体験・演劇体験とゼニの引き換えではなくなったライブや小演劇は、ますます属人的な接触ビジネスとしての色合いを強めていくことでしょう。

接触ビジネスの先輩に身近なところでは風俗産業があります。風俗産業の在り方と、これからのライブ・演劇の在り方との間には共通点があるような気がします。

つまり、感染対策をしているからその存在は認められるけれど、行くと後ろ指さされる場所。感染したら自業自得と言われる場所。

そして(ルールかマナーかは別として)合法的な場所として存在するには制限があるからこそ、その制限のない非合法な場所も存在するジャンル。

どんな病気を持ってるのか分からない女の子を非合法に買う男がいるように、感染リスクの高い場所でのライブ・演劇もアンダーグラウンドで生まれるのではないか、と考えます。

そのときに社会がどう出るか、あまり想像はしたくありません。

 とはいえ、もともと役者なんて河原乞食なんだから、そこに戻るだけ、って考え方もありますけどね。

つーか山城新伍さんってすげー人だよね。死んでから分かりました。

生きてたら、なんて言っただろう?

 

 

腹ばいスケボー事故でなぜ車に過失があるのか

腹ばいスケボー事故でなぜ車に過失があるのか

労災や健保の仕事柄、交通事故当事者から事故状況を聞く機会が多くあります。

その際によく聞くのが「避けようがなかった」という言葉です。

しかし本当に「避けようがなかった」のでしょうか?

 

交通事故が起きないように道路と車は作られている

まず大前提として、交通事故が起きないように道路と車は作られています。

例えば制限速度ひとつとってもそうです。なんでこんなに見通しのよい道が30km/h制限なんだろう?と思ったことはありませんか?

それはどこかに30km/h以上出していたら事故を回避できない場所が潜んでいるからです。誤解を恐れずに言うと、100%見落としもせずに、ブレーキハンドル操作も人間の限界まで素早く正しく行えれば、30km/h以下で走行していれば事故が起きないようにつくられているのです。

逆に制限道路のない道もあります。

本件事故の現場は見る限り、速度規制も一時停止規制もありません。

 

 これは規制しなくでもいい安全な道路ではなく、規制しても規制を守るだけでは事故が防げない場所だということを意味しているのです。

このツイートの通り、死角があるのです。

ではその死角が原因での事故は避けられないのでしょうか?

 

 

腹ばいスケボー事故での車側の過失

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こちらに寄せられたコメントをもとに考えてみましょう。

mamiskemamiske 過失がわずかでもあるというなら回避する方法を教えてほしい

はい、教えましょう。

 

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もちろん現場を実測したわけではないのでCGからの推測ですが、スケボーとの距離6.0mの時点で運転者はスケボーを発見出来ていたと思われます。

で、スケボーの時速がハッキリしませんが10km/hだったとします。いや、もっと弾丸のように速かった、とおっしゃる方もあるでしょうが、あとで後悔しますよ。

10km/hは秒速で言うと3mなので、この6mを2秒で通過したことになります。

一方の自動車は0km/hからスタートして2秒で6m進んだことになります。加速度を計算すると、6m地点の速度は約21.5km/hです。

車を運転する方は試してみればよいと思いますが、2秒で21.5km/hは結構な急発進です。

ちなみに道路交通法42条では見通しのきかない交差点では徐行義務が課せられていて、徐行とはすぐに止まれる速度、10km/h程度とされています。

(これがスケボーが20km/hの弾丸ロケットだったとすると、自動車の方は1秒で43km/hのぶっとび発進です。)

要は自動車の急発進、というのが本件事故の運転者側の過失であり、急発進していなければ回避出来た可能性が高いのです。

もちろんこれは画面からの推測にすぎませんので、念のためお断りします。

 

 primedesignworksprimedesignworks こんなん、車側の責任は一切ないでしょ。当たり屋より酷い。

 いかがでしたでしょうか。

 よろしければ名作ですのでご一読を↓

交通刑務所の朝

交通刑務所の朝

 

 

腹ばいスケボー事故の過失割合に関する所見

腹ばいスケボー事故の過失割合に関する所見

togetter.com

いろいろと思うところはあるのですが、結論から言って明らかに自動車側の過失割合が大きいです。

類似の判例では

実は類似事故の判例があります。

スケートボードで滑走、車道に飛び出した事故

H15-6-26、東京地裁判決、平成13年(ワ)7746号、40:60

スケボー40:車60の判例です。

上記事故は、スケボーの路外からの流入であり、本件は交差点(しかも左方であり、原則的にはスケボーが優先方向)であることから、スケボーにさらに有利な判断がされるものと思われます。

 

別冊判例タイムズNo.38では

裁判官が判例をケース別に分類してまとめた別冊判例タイムズNo.38という本があって、もともと裁判官用に作られたものですが、保険会社での示談でもこれに基づいて過失相殺率が算出されます。

 

 

そもそもスケボーがなんなのか、議論の余地があります。

道路交通法76条4項3号ほかでは遊具として「交通のひんぱんな道路」における使用が禁止されています。その解釈であるならばスケボーに乗った子供は歩行者ということになります。

一方で道路交通法第2条第1項第11号では軽車両を「人若しくは動物の力により」「レールによらないで運転する車」と定義しており、この解釈であればスケボーは軽車両ということになります。

上記類似事故の判例の場合、軽車両と四輪車で軽車両の路外からの流入【300】が該当する事案です。基本過失割合が40:60でスケボー側に児童であることで-10、著しい過失があることで+10の修正が行われ40:60という、自転車での判タ通りの判例です。

このことから、スケボーは軽車両であるとみなしてよいでしょう。

そこで本件事故を見てみると、同幅員交差点における左方からの軽車両と直進の自動車の事故ですから【240】を準用できます。

基本過失割合はスケボー20:車80で、スケボー側に児童であることで-10、スケボーが違法であること、腹ばいであることでそれぞれ著しい過失+10ずつを修正してスケボー30:車70というのが示談の数字ということになるでしょう。

また刑事事件としても決して無罪となることはないでしょう。

 

なぜ車に罪があるのか

車の過失について考える前に、類似事件の判決文にもある通り、過失の多寡と負うべき責任の多寡は違うことを意識する必要があります。

双方の落ち度=帰責性の程度を比較考量するだけでなく、被害者保護および危険責任の観点を考慮し、被害者側に生じた損害の衡平な分担を図るという見地から、決定すべきものである。 

 これは自賠責保険の考え方にも通じますが、交通司法は交通事故は誰にでも起こりうる悲劇であり、加害者も被害者であり、被害者も加害者であり、「痛みを分かち合う」ことを前提に設計されているからです。

 

なぜ車に落ち度があるのか

別エントリにまとめました。

rrd.hatenadiary.org

どこからが労災隠しにあたるか

どこからが労災隠しにあたるか

ケース

事業主より、労災に加入していないので国保使用するように指示があったが、諸事情により事業主に労災加入を求めることが出来ない。

 

回答

本来は事業主が雇用関係成立時点に遡って労災保険に加入する必要がある。

しかし諸事情で労災不加入のままを前提として処理する場合、業務中の災害であることを明らかにしたうえで国保による保険手続きを進めること自体は違法ではない。手続きを進めるだけであれば労災隠しには該当しない。事業主が死傷病報告を行わないことが労災隠しである。

国保提出先自治体では、求償先さえ明らかであれば実務上は問題がない。求償先を事業主または保険会社として第三者行為災害届を提出すれば国保の手続きとして処理が行われ、問題は生じない可能性が高い。

しかし自治体から国保使用を拒否される可能性、労基署に通報が行われる可能性は否定できない。NPO法人の労災加入義務がなくなるわけではない。

(2020年6月 社労士、市役所国保担当、労基署に問い合わせ)