見るもの、見させられるもの
今朝の出来事。
誰だかわからないけど、すっげーダメ出しを出しやがった。ヘコんだ。
ヘコんだままいたら、そいつが俺の首根っこを捕まえてぐいぐい引っ張りやがる。必死に抵抗したんだけど、とにかく首が痛くて痛くて、力尽きて引っ張られるままに。そしたらそいつが
「2段引きしないところをみるとこいつはアマダイじゃないな」
とか言いやがる。
そこで目が覚めた。昨夜からつけっぱなしのテレビでは日曜朝の釣り番組、アマダイを釣ってる。昨日からの寝違えで首が痛い。
普段は夢なんか見ない。これが初夢。
夢なんてこんなもの。起きかけで夢うつつで見たテレビをキッカケに、起きる直前にそのときの知覚で一瞬のうちに作るものだってことだ。
これは寝てる時に見る夢も、目標として語られる夢も一緒だろう。
所詮は直前に与えられた刺激をきっかけにして、それまでに与えられていた条件の範囲内でしか見ることの出来ない幻想。
大きな夢なんてありゃしない。夢なんて与えられた条件を調整して、その範囲内で見させられるものだ。
パンは大きな器に入れれば大きく膨らみ、小さな器に入れれば小さく膨らむ。
夢は無限大じゃない。大きい夢は大きい人物が見る。
俺の夢は大きいだろうか?
そして大きい夢は見るものだろうか、見させられるものだろうか?