誰も知らない

サールナート1階で16:30の回。行ったら8月と土日は3階シネギャラリーではなく1階ホールでの上映という張り紙。なるほど客入りは50人強、3階は50人入らないはず。
ここで芝居を見る機会はあっても映画は初めて。でも芝居の劇場なんだから見やすいはずと最前列へ。
お目当てはポスターにもなっている柳楽優弥セミヌードだったけど、最初の場面では美少年ではなくてまだまだ子供なんだ、これが。ちょっと馴染めない。
で、これが成長して、最後はこういう形でハッピーエンドになるとは思わなかった。でも理屈で考えるとこういう形のハッピーエンドか、1人ずつ全員死亡のアンハッピーエンドのどちらかしかありえないもんな。それ以外の終わり方ではYOUが出て来ざるを得なくなる。それは極めてマズイ。
なぜマズイのかと言えば、要するにこの映画のテーマが「生きているのは大人だけですか」というコピーに象徴されるように、陳腐な言葉で言えば人間は与えられた環境のもとに精一杯生きる事に意味がある、ということにあるから。
与えられた環境。誰に与えられた環境?それは神に。
人は神から生まれ神に育てられ神に与えられた制約のもとに神の気まぐれなご加護とともに生きていく。この映画の中ではYOUがその神にあたる。創世記の始めに出て来た神が最後に現れる時、それは…。だからYOUはラストに出て来てはいけない存在なのだ。
そして「神」に与えられた制約の中で精一杯の選択と行動をとり、結果的には人数も減らずにそれまでの「神」を好んで拒否する生活(YOU母は柳樂の電話で急を察して現金書留を送ってくることを忘れてはならない)が肯定され祝福されたかのように続いていく。
これをハッピーエンドと言わずになんと言うのだろうか?