誰も知らない

サールナートホール1階で16:30の回。
映画の日って言っても静岡では週1回以上1000円になるんだから有難味はイマイチ。
その恩恵にあずかれないシネギャラリーでこそ1000円の日は生きる。もっと多いだろうと思ったけど観客は80人ほど。
もう1回観たい映画だな、と思うことは多くても実際に映画を2回見たのは初めて。
ハッピーエンドになることが分かっているので安心して観れた。

この映画を一言で語りにくいのは伏線や象徴的な出来事が縦横無尽に張り巡らされているからなんだろう。くどく臭いくらいに分かりやすいものから2回観て初めてわかること、そしてまだまだ隠されているはず。
構成が上手い。1つの場面が他の場面とリンクしているから、それが奥行きのように感じられて圧倒的な迫力として迫ってくるのだろう。
ちょっとだけでも心を開いて「ん?」と思う場面に「これはどういうことなんだろう?」と考えて思考の手を伸ばせば、なんらかの意図の糸が必ず引っかかってくる。でも「実際の事件は」「柳楽優弥はセリフ棒読み」なんて先入観に縛られて手を伸ばすことが出来なければ、ただの期待ハズレの駄作と化してしまう。

1回目は体のパーツで言えば手を映し出す場面が目についたけど、今回は目を映し出す場面が印象に残った。
もちろん柳楽優弥の目力の強さはハナからの評判だが、ゆきちゃんの目力もなかなかのもの。

前回意識してなかったので気にならなかった場面を集中して観た。
特になぜ飛行機を見せに行ったのか?飛行機を見に行こうね、という約束をした場面の記憶はある。しかしああまでして飛行機を見せに行く必然性が生じるような描かれ方だったのか?と。
今日観て出した結論。柳楽優弥の言わされてる感全開のセリフ棒読みがここだけは気になってよく分からん。
セリフで言わされた飛行機を見に行こうね、に対してゆきちゃんが「お兄ちゃんが見せたいって言ってるんだから付きあって見に行ってもいいかな」というような雰囲気で消極的に同意する、イマイチな場面だった。
それならそれで得心がいく。
ゆきちゃんが飛行機を見たいとは思っていないにしても、いっぱいいっぱいになって目の前しか見えなくなった柳楽優弥があの場面を思い出したらそれを実現させることが最善の選択だと思ってしまっても誰が批難できるだろう?批難する奴は目の前がいっぱいいっぱいになったことがない順風満帆な幸せな方々だとしか言いようがない。
いっぱいいっぱいでトイチで借金する奴の気持ちと一緒だよ、
10日も期限があるのに1割しか利息を取らないなんて良心的、と思ってしまう。2-3日先のことしか考えていないから。柳楽優弥も一緒。