愛より強い旅

愛より強い旅」をシネギャラリーで。
1日1回の上映だけあって客入りは20人ほどと多め。
世の中には二通りの人間がいる。故郷で生まれ育ち暮らす者と、そうではない者と。
前者はこの映画をどう見るんだろう?

舞台はフランス。俺には「おフランス」の事情はよく分からんけど、昨年には移民の、今年は若者の暴動が遠く離れた日本でも伝えられる国。主人公はアフリカ移民の若者。
なにがそうさせるのかは明示的に描かれていない。フランスの安アパートでセックスをした後に移民系カップルはルーツ探しの旅に出る。少なくとも彼女の方はその理由がなにか、分かっていない。もしかすると彼のほうも分かっていないかもしれない。
無賃乗車、バイト、出会い、浮気、喧嘩、迷子、越境、ロードムービーとして評価するべき部分が最後がどうでもよくなる。その場面の後にエンディングがあるのだが、よく覚えてない。エンディングは墓地の十字架にヘッドフォンをかぶせる場面なのだが、誰の墓?その前の場面で完全に思考も感覚も停止してしまってよく分からない。
彼女の方はアフリカに入って疎外感がさらに強まるのだが、つれていかれた先での儀式、これでワケが分からなくなってしまいます。
音楽的にはなんていうのだろうか、トランス?  心の底から突き上げてくるなにかが理性すら突き抜けて、ただひたすらに狂ったように心解き放される。そんな場面がどれだけ続いたのだろうか?3分、5分、10分、20分?そんなには続いていないだろうが、とにかく訳が分からない、理屈では。
もう10年も前になるだろうか、ビシバシステムの芸を見る機会があった。「♪いさせて、いさせて、お姉ちゃんの胸にいさせて」この1フレーズを10分ほどの持ち時間の間、延々と歌いながら客いじりをする芸だった。そして延々歌った後のオチ。「これでみなさんは一生この曲を忘れられなくなりました」すげー暴力的なネタだな、こりゃ。リズムに乗せた同じ単語の繰り返しは効くよ。こりゃ。
古来のシャーマンの儀式にはそんな感じの洗脳の要素が多分に含まれているのだろう、その片鱗がスクリーンを通じて伝わって来る。理屈を越えて心をノックアウトするなにかが。しかし彼女を狂乱に陥れたのはシャーマンによる洗脳だけではなく、体に流れる福里を呼ぶ血なのだろう。
中島みゆきは「異国」の中で「町は死んでも私を呼ばない」と故郷を歌った。だから異国だと。
たとえ一度も行ったことがなくても、町が呼べばそこは故郷なのだ。
こう考えると愛国心を巡る議論とはなんと薄っぺらなものだろうか。故郷が国家単位でなければならない理由がそもそもインチキだし、故郷への思いが愛である必要はどこにもない。愛に至るまでの過程を認めない愛国心も嘘っぱちだし、感情的な愛国心統治機構論に組みこむ危険性を指摘して分別ある郷土愛のみを求める理性も嘘っぱちだ。
愛国心の法制化が議論になっているが、この映画を見た後では賛成派、反対派、どちらの主張も薄っぺらなものに見えてくる。