富裕層はなぜ、YUCASEE [ゆかし] に入るのか

富裕層はなぜ、YUCASEE [ゆかし] に入るのか (ハードカバー)

高岡 壮一郎 (著)

を読んだ。

富裕層向けのSNS運営者によるニューリッチと呼ばれる若い富裕層の自己正当化ばかりが目に付いた。



その一端を示す記述がある。いま富裕層は注目されている、という具体例としてネットでの検索結果を示している。

レンタルビデオ>富裕層>巨人軍

だという。数字もあったが失念したが、一般名詞にはちょっとかなわなくても固有名詞よりは多い、という印象を一瞬受けた。

なにをどう検索したのかは知らんが、少なくとも今日の22:37のgoogleの検索結果では

レンタルビデオ の検索結果 約 1,670,000 件中 1 - 10 件目 (0.57 秒)

富裕層 の検索結果 約 810,000 件中 1 - 10 件目 (0.23 秒)

巨人軍 の検索結果 約 823,000 件中 1 - 10 件目 (0.19 秒)

いや、検索結果には時期的な多少の誤差があるとしよう。

問題は比較対象になんで「レンタルビデオ」と「巨人軍」を選んだのか、ということ。

これもgoogleで別のワードで検索すると分かるだろう。

レンタルDVD の検索結果 約 1,540,000 件中 1 - 10 件目 (0.17 秒)

ジャイアンツ -ニューヨーク -NY の検索結果 約 2,440,0001 - 10 件目 (0.27 秒) 件中

だいたい「巨人軍」なんてよっぽどのことがない限り野球ファンは使わないよ。



ずばり言って、これが富裕層のやり口だよ。確かに嘘はついてないわな。「巨人軍」より「富裕層」はヒット件数が多い時期があったのかもしれない。でもプロ野球の巨人というチームの存在感を富裕層が上回ったことなんかないのに、そういった方向に嘘をつかずにも持っていける、こういうことができるのが富裕層の条件だ。

これを間違っていないと思うか、誠実ではないと思うかが富裕層かそうでないかの分かれ道になっている。



こう書くと「言葉尻を捕まえて」、と言われそうなのでもう一つ指摘しておく。

本書では新富裕層を「インテリッチ」という言葉で表現する。土地持ちではない、知識社会においてインテリであることは財産でありインテリであるからこそ富裕層である、という自己正当化だ。

その言が正しければ呉智英が長者番付に載ってない理由はなんなんだ?

それはさておき、それ以上に言わなければならないのが、新富裕層は単なるバクチの勝者なのにも関わらず、バクチに勝った理由を、知識の名の下に普遍化し正当化しようとしていることだ。バクチに勝つ理由が普遍なものであるならば、それは偶然に賭けるバクチじゃないって理屈に持っていけるもんな。

その気持ち、よく分かるんだ。俺がそうだったもん。



そしてもう一つ、リスクテイカーというバクチ打ちが多ければ多いほど社会が発展するというのは危険思想だと思う。

リスクテイカーは必要だし、それに見あうリスクとリターンも必要だ。

俺はリターンの伴わないリスクだけを、構造改革の伴わない痛みだけと共に味わってるけど、それは納得してるんだ。裏目でも恨めでもリスクテイカーの端くれという自覚はあるし、もう一回しでかしてやろうとも思ってる。

でもそれも俺が単身だからの話だよ。これで所帯を持ってたら無理だよ、普通の感覚なら。

もっと極端な話、母子家庭でパートで月収10万円台の前半でやってるのとか、身近にいるわけよ。生活保護を受けるのと数万円も差がないように思うけど、その数万円に骨身を削る値打ちがあったりとか。

こういうのにリスクをとれって無理だろ。



これは極端な例だけど、でもリスクをとりにいくってのは誠実さとの天秤だったりする場面が多いわけ。そういう奴が増えれば増えるほどモラルハザード社会に近づいていくと思うよ、それこそ「巨人軍」の検索結果だけを元に読売ジャイアンツというプロ野球チームの存在感を貶めるなんて日常茶飯事だろう。

(つーか中日ファンの俺が巨人を擁護する日が来るとは思わなかった)



「かかし」だか「ゆかり」だか知らんが、こういうのに加わって喜んでるような手合いをなんとかしないとどうにもならんな。

そのためのロードマップも漠然としてではあるけど存在する。



さあ、立ち上がろうか。