いつか眠りにつく前に

「死に際まで自己正当化」



静岡ミラノ1で19:00からの試写会。

静活では公開予定の劇場で試写会を行うけど、ミラノ2じゃさすがに試写会は無理。



正直なところ、女性向けということで期待はしてなかったのよ。

どうせベルトコンベアに載ってるように都合よく男が2人現れて、言い訳しながら、選ばなかった片方の男を当て馬のように捨てて、好みの男と結ばれて自己正当化するんだろ、って。



ところがちょっと毛色が違う。主人公の女性が年老いて死ぬ間際、後悔してるのよ、

人生を振り返って。なにを後悔してるかってえと、若かりしころ、親友の結婚式で出会った親友の家の使用人の男とのこと。

もともとこの使用人と親友が微妙な関係で、親友が別の男と結婚するわけ。

でも気乗りしなくて、主人公の女が逃げろとかそそのかすわけよ。

この親友の弟がこの主人公の女に惚れてて、アル中でメンヘルみたいなアプローチをするんだけど、主人公の女はゴミを扱うかのごとく拒絶して親友の家の使用人と出来ちゃう。セックスしてる間に親友の弟が事故死。

で、交尾をしているときに水をぶっ掛けられた犬のように急に冷めちゃった。

疎遠になって2回結婚して子供も出来る。でも未練もあるし罪の意識も感じてるし後悔もしてて、年老いて死にそう。

そんなときに気乗りしなかった相手と添い遂げた親友が来て言うのよ。あなたは子供も育てたし、わたしの結婚式で歌ってくれた。あなたの人生は価値があった、って。

で、最初は殊勝に見えたけど、結局はやっぱり女の自己正当化。

なんだかなー。



ただ、この映画は単純にスイーツ(笑)って切って捨てるべきものではない。

ちょっと男の立場になってみて欲しい。例えば結婚式の翌日、妻の弟が死んで、妻が使用人に駆け寄って抱きあうのを見る夫の立場に。

その使用人とは老いてもクリスマスカードのやりとりは続ける。そして妻に看取られて死んでいく。

見て見ぬふりとか、なぁなぁではこうはならないよ。この男と使用人の間で真正面から向かったなにかがあったはず。

ま、それを描いてもこの映画の客層には理解できないだろうけど。



この夫婦と水をぶっ掛けられて冷めた雄犬・雌犬との対比が鮮やか。

保護者のつもりの主人公が、最期に保護したはずの相手に救われるんだから爽快といわずになんと言おうか。



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