ガチ・ボーイ

静岡東宝3階で20:00の回。客入りは20人ほど。



今年も50本以上映画を見るだろうけど、過去の経験でいえば5本の指の中に入る。



北海道の大学の学生プロレスにマジメ学生が入部、でも様子がおかしい。

学生プロレスはよく知らないけど、静岡だともう10年も前になるか、石川孝士がWARを離脱して東京プロレスを作って興行したときに人数が足りなくてJWA東海というアマチュアプロレスを前座にやったのよ。これが東京プロレスよりも面白くてね。そんなことはどうでもいいか。



秀逸なのは主人公の五十嵐が目を覚ましてからの不安を忠実に見せたこと。

この衝撃的なシークエンスのおかげで、すべてのドラマがその日に初めて出会った初対面の人との出来事であるということを常に意識させられた。

印象的なエピソードはいろいろあるけど、知ってることと覚えてることの違い、そのギャップにはさまれて、知ってるだけのことを覚えている人と交わっていく姿に、違和感とも親近感ともいえないものを感じた。世の中に馴染めない部分が多々あるけど、適当にあわせながら生きてる、そんな感じじゃないのかな。



バスで4回同じ話をしたあたりも強烈なエピソード。このうち2回を見たわけだ。

朝岡麻子は4回目に、コクられたのは2度目だと言ってる。でも4回目はコクってないし、五十嵐にしてみれば1回目とまったく一緒の場面。でも1回目は麻子はコクられたと思ってない。他の2回はどんなだろう?



結局俺たちが認識している現在や記憶してる過去ってのは、気の持ちよう、あるいは相互認識によっていくらでも変わってくるという不確かさ、恐ろしさを再認識させる場面だ。



ただ、肉体を使ったパフォーマンスは、それ自体が肉体に訴えかけてくるもの。

理屈で語るにはふさわしくない映画でもある。学生がプロレスにのめりこんで生き生きとしている様子を、役者がこの映画にのめりこんでいきいきと演じている、その雰囲気が伝わってくることだけは確かだ。



似た設定の映画に「50回目のファーストキス」があって、これに似た印象を持った。ハッピーエンドとはたった一つではなく、人生の数だけハッピーエンドがある、そのことを教えてくれる。