犬と私の10の約束

静岡ミラノ3で19:40の回。客入りは40人強と大作並みの入りだけど、「明日の記憶」との併映で回数が少ないせいだろう。



犬の10戒という作者不詳の短編詩から派生しているという。犬好きは大変だね。10も約束があって。

その点、俺たち猫好きにあるのは、たった「一つのルール」だけ。オールドデュトロノミーはこう言ったね。「こちら(猫)からは話かけない」。

だからまずこちらからご挨拶をするんだけど、ついついなれなれしい口をきいちゃって、しりぞけられちゃう。by「猫からのご挨拶」(ミュージカル・キャッツより)



だいたい犬なんて使われてなんぼの生き物、使われてないと不安なんだろうし、そんな人間もいくらでもいる。いまだに小泉純一郎に期待してる奴とか、そこまでバカじゃなくても橋下徹みたいなサービス残業当然みたいのを支持してる奴とか。

でもそんな犬に親近感を覚えるのも、そんな犬を支配した気分になるのも、どちらにしても犬好きってのは・・・。

犬が死ぬ映画を見に行って、犬が死んだって犬が死んだって言って泣く、そんなトンマな犬好きを、「バーカでー」って見物に行くくらいのつもりで観に行ったのよ。

 

P1000001.jpgしかしなー、見終わって帰り道にアピタに寄って弁当を買って、レジに並んでふとむこうを見たら靴下の特売の特設コーナーがあってさ、「子供ソックス」とか書いてあるの。それを見て、あれ?っと違和感を感じたときに「お箸お付けしますか?」って聞かれて、「お願いします」って、思わぬ涙声。どうしちゃった、俺?



この映画の何がいいかっつーと犬の十戒自体もいいんだけど、その十戒が伏線になったエピソードがいくつもある、ああ、十戒が伏線だね、って油断してるとそのうちのいくつかのエピソードが伏線になったエピソードがまたあって、そのうちの一つのエピソードが最後の大団円の伏線になってたりして後半の畳み掛け方にひきこまれていくものがあった。その引き込み方が半端じゃなくて、リサイタルの場面で画面の客になりきったんだろう、演奏終了で拍手したおばちゃんがいたくらい。俺もこの界隈で相当映画を見てきてるけど、

そんなの初めて。



なんでそんなことになっちゃうかを考えると、この映画がペットとはなにかというテーゼを明快に提示しているからだと思う。泣けるのは犬が死んでかわいそうだからじゃない。

思い知らされるからなんだよ、自分を愛してくれた存在を、自分がいかに疎かに扱ってきたかを。人間の数倍のスピードで生きるペットはそのシンボル。

その向こうにはまだ残された時間のある、これからいっぱい愛するべき存在がいるんだ。