ブログを書く理由
秋葉原の通り魔事件のワイドショー。
一部始終を携帯から掲示板に書き込んでいた、というあたりを受けてえらい先生が「自己愛が強くて、いつか誰かが相手にしてくれるという願望がうんぬん」って見当ハズレの解説を聞きながら思ったんだけどさ。
俺もこうやって1日に50から100アクセス程度のブログをこうも飽きずにかいてるわけ。まぁたまには飽きて放置もするけど。
あるいは、2ちょんねるあたりでRRD ◇3MranranlYのコテハンで書き込んだりして、似たようなことを言われるんだけど。
俺が1円にもならないのに書くのには全然別の理由がある。
俺が最初にネットにつないだのは1994年のこと。これは友達のパソコンから。自分でパソコンを買ったのは95年末。ネットにつないだのは96年になってから。
この頃のネットってなんにもなかった。2ちょんねるやgoogleはもちろん、申請すれば100%yahooに登録されてた時代。検索エンジンがホームページ紹介でしかなかったわけで、そのホームページにだってたいしたことが書いてあるわけではない。
知りたいことがあったら、そのホームページの作者にメールするなり、掲示板で聞くなりするしかなく、そこに必然的にコミュニケーションってものが発生した。それも実名、もしくはネットでの存在唯一の名前を使って。
つまり匿名で隠れている限り、ネットのメリットって薄かったんだわ。
そのコミュニケーションには自然発生的なルールが存在した。
それは人間のコミュニケーションとして当然の、たとえば丁寧な言葉を使いましょう、とか、そんなレベルのものもあったけど、ネット特有のルールとして「ギブ&テイク」っつーのがあった。
ネットにはなにもなかったんだから。ギブする人がいて、その人が直接的であれ間接的であれ報われるからギブする人が増え、ネットは栄えてきた。
そして今、ギブする人でネットはあふれている・・・ように見えてやっぱり違うんだよなー。ローカル情報は極端に足りない。静岡新聞のローカルベタ記事レベルをネットで検索してもまず出てこないしね。
国道一号線駿河大橋の東に花束が置いてあるんだけど、死亡事故でもあったの?ほぼ毎日通ってるんだけど知らないんだよね。とかね。
だから俺はまだまだネットは黎明期だと思うし、だからまだまだ闇雲なギブをしてネットを発展させなければならないと思うし、それが俺がネットから受けている恩恵に対する義務だとも思う。
それが俺のブログを書く理由。
アクセスを稼ぐだけなら「沢尻エリカと山下智久が
今日も生きてます」
とでも書いておけばバカが引っかかってくるだろうし、コメントがほしければアキバの通り魔はオタの内ゲバ、というような論調で書けばいいだろうし、でもそんなことに意味ないだろ?
ってなことを思ってた。