腕時計をしなくなった

今朝、大雨が降っていた。
濡れないようにカッパを着込んだり、タオルをあてがったりするのに夢中になって、携帯電話を置き忘れて出勤。
なにが一番不便だったかといえば、時間が分からないこと。

腕時計をしなくなったのはいつからだろう?寝る時もはずさなかったのに。最後に腕時計をした日のことなんか覚えてない。
そうだ、腕時計をしていた頃に、携帯電話の時計に頼ってるという話を聞いて面倒くさいことをしてるなー、と思った記憶がある。今は携帯を取り出して、折りたたみを開けて、時計を見ている。その方が時計を見る一日数秒のために腕に物体をくくりつけているより楽だと思う。

http://www.nikkei.co.jp/weekend/news/20030509s2659006_09.html
腕時計型PHSの記事。多分2003年。
「時計が柱時計から置時計、懐中時計から腕時計に変わったように、携帯電話も変わってきている。現在は時計で言えば懐中時計の段階だが、これからは腕時計の段階に入るだろう」
という意気込みの割りに腕時計型携帯電話が出てこなかったところを見ると、携帯電話は懐中時計とは別物だったということだろう。
装着するということはそれなりに身体に負担がかかるわけで、その負担に見合うメリットがなかったってことなんだろうな。つまり、身に着けていること自体が満足感なり優越感なりを生むものである必要があるのだろう。腕時計にはステータスを表す要素があるけど、携帯電話にはないよね。

腕時計は小さくなるほうに発展していったけど、携帯電話はもっと大きくてもいいしね。
携帯電話の発展していく方向は小型化じゃなくて、柔らかくて可変性があって、ポケットに入れてみても気にならない、そういう方向じゃないかと思うんだけど。