クライマーズ・ハイ

「社会科見学で新聞社に行ってきました、ってか?」



静岡東映で13:00の回。客入りは70人ほど。年齢層は高め。



特に現在の場面での、山の描写がすごい。傾斜がきつくて、迫ってくる、あの臨場感はそうそうないと思う。

ただ、それが一番印象に残るんじゃダメだろ。

親子の和解エンドとか、そもそもそう深刻に対立してるようには見えなかったし。



社会科見学するくらいのつもりで新聞社のお仕事拝見ってところで。

「ブンヤ」のいかがわしい本性とその根源にあるものは十分に描かれていた。秋葉原の殺傷事件で、その場にいた人たちが夢中で携帯カメラをかざした興奮はまさにそれだろう。

でも当時の日本の雰囲気はそのいかがわしさを承知で許容してたと思うんだけどね。日本人自体いまより猥雑だったしね。つーか人間の持つ本性と向かい合って本音で生きてた、ってことなんだろう。



ちょうどこの頃、いわゆる「ギョーカイ」ブームがあった。このブームでマスコミに対する世間の見方が憧れのようなものを含んだ幻想的なものになった。

一方で日本全体が猥雑さを排除して清潔清廉の皮をかぶる方向に向かっていた。その流れに取り残されたマスコミは一種の象牙の塔のようなものになり、結果として現在の猥雑さを残したマスコミはお上品なお日本から浮く存在になってしまったのではないだろうか、というマスコミ論を思いついた。



いまネットで得意げにマスコミを叩いて喜んでる奴らがいるけど多分マスコミは変わってない。変わったのは俺たちの方。

個別の事例はともかくマスコミの実態なんて、昔からとっくにみんな知ってるだろ。それを「啓蒙」して歩いてる奴らは「今まで幻想を見ていたバカです」って自己紹介して歩いているようなものだと思うが。