セ三味ストリート

今年はセ三味ストリートにすっかりやられてしまった。
静岡へは今年で3回目。数年前に始めてきたときに「お?」と思って、去年「おお!」と思っての今年。

セルフサービスの入場のMC。
「録音・録画・写真撮影・ビデオ撮影は演奏の妨げに・・・はまったくなりませんので進んでお願いします」
大須町人祭の動画を見ると「ビデオ撮影」の後に「明日の朝になったらyoutubeに投稿されてるなんてことは」なんて言ってるところを見るとOKなんだろう、つーことで大量に撮りだめしたものを順次youtubeにアップしてみよう。

今年最初に見たのは初日の11時という、まさに今年の初っ端。
まず前説の内容の前に、俺も常々おかしいと思ってきた大道芸ワールドカップが実はほとんど大道芸じゃない件について説明しておく必要がある。
いや、これを分かりやすく説明するのには前説の言葉を引用するのが手っ取り早いのだが。
「大道芸じゃなくてサーカスの大会」
「静岡に出る、っていうパフォーマーに、投げ銭ってどうやってもらったらいいの?って聞かれた」
「ヨーロッパのサーカスのスカウトがヨーロッパ人をスカウトしに来る」
「和芸が3組しかいない」
「日本でやるワールドカップなのに数年間日本人が出れなかった」

結局、セ三味ストリートは5回見たんだけど、そのうち初日の1回目でだけこんなことを言ってた。
「数年前に来たことがあるんですけど、その時いろいろあって来なくなっちゃったんです」
白人優遇、和芸虐待の大会で、なにがあったかはわからないけど、でもそのなにかが原因で悲しんだことは容易に想像がつく。

世界には素晴らしいパフォーマーがたくさんいます、その人たちを呼ぶために募金をお願いします。
そんな募金箱が設置されてる。確かに素晴らしいパフォーマーを呼んでいるのは事実。しかし日本にだって世界に通用するパフォーマーは大勢いる。雪竹太郎も以前は静岡に出てた。風の噂では白人優遇の大会を批判したところ、毎年同じネタは禁止とか難癖をつけられて、静岡に来れなくなったと聞く。
じゃあ一昨年と去年、または去年と今年で同じネタで賞獲ってる外国人はなんなんだ、って話になるが。
もちろんイベントにはそのアイデンティティを守る必然性があるから、ある程度の選別があるのは理解できる。しかしそのアイデンティティが、ぶっちゃけ白人コンプレックス全開の分かりやすい飛んだり跳ねたり、ってのはなにか悲しくないか?
いちど、ギリヤーク尼ヶ崎を静岡で見てみたいなー。無理か。
この段落はセ三味ストリートの言葉じゃなくて俺の言葉なんだけど。

セ三味ストリートの萩原遼はそんな俺の気持ちそのままのことを言っていた。
ただ俺と違うのは、それをなんとかしよう、と静岡に戻って、オフ会場から挑んでいること。
本来この人たちは「オフ芸人」であるべき存在ではない。前説ではサンキュー手塚を引き合いに出して、自らの静岡での立場の弱さを面白おかしくアピールしてた。そこに感じられるのは芸への絶対的な自信。