地球でいちばん幸せな場所

静岡ミラノ2で19:20の回。客入りは5人。うーん、5人か。
東京では夏にシネマート六本木で公開になってる、いわゆる単館系の作品。静岡だとシネギャラリーで公開するんだろうとばかり思ってた。

最近の静活は単館系の上映も増えてきて、それは喜ばしいことではあるんだけど、客がそれについていってないんじゃないかなー。静活の客とシネギャラリーの客は全然別なんだろうね。シネギャラリーなら5人ってことはないと思う。


俺は以前から「ミラノ2からスタートする映画は名作が多い」って盛んに言ってて、今日もまたその正しさが証明されたわけだけど、だーれも聞いてくれないよね。

↑これが日本版のバカ丸出しの予告編。
いい加減、こういうバカ女に媚びるようなプロモーションはやめれ。現に今日だって5人の客のうち4人は男だよ。
英語版だとこう↓。


いやー、ベトナムの夜って猥雑で、活気があって、ウェットな愁いを帯びた輝きがなぜか心を落ち着かせる、不思議な魅力があるね。行ったことないけどさ。でもこの映画を見たら誰もがベトナムに行ってみたくなると思うよ。


非常にシンプルなつくりの映画。通行人がもの珍しそうに覗いていくところが見えたりして、普通に町の中で撮影してたんじゃないのかな。カメラも手持ち、音も生活音が多く含まれていて、妙なリアル感がある。
行ったことがないのに、どっかで見た事がある、と思ったら、そうだ、「水曜どうでしょう」だ。あの、原付ベトナム縦断、あれだよ。


そのシンプルな中で目立つのが主人公のトゥイのいい意味でも悪い意味でもガキの部分。
ちょっと強引に作ってあるけど、この映画はわずか5日間の出来事。初日に傷つきまくった大人二人。

触れようとされるだけで 痛む人は火傷してるから
通り過ぎる街の中で そんな人を見かけないか

中島みゆきは「瞬きもせず」で歌ったけど、そんな痛む人を2人見かけて、時間をかけて癒すべき傷をあっという間に治してしまうのがガキの力なんだよなー。とはいってもそれは、実際はガキならではの激しい思い込みによる部分は大きかったりする。実際にはハンと携帯ショップの女との関係をぶち壊してるわけだし。でも、知らなきゃいいのか。怖いなー。


そんなガキの行動の二面性とともに、資本主義の持つ二面性についても、ことあるごとに描かれている。
本当に単純な話なんだけど、まとめ売りの絵葉書を買ってばら売りする、売れたら食費を残して絵葉書を買う、カネがカネを生むようにしなきゃだめよ、って話。資本主義的に当たり前の話だろ、って思われそうだけど、じゃあ、あなたは実際それを出来てるの?って話。
自営業は別として勤め人。給料が入ってきて、それをあてにして生活してる。資本主義的にダメじゃん。


なぜそうなっちゃうのか、ってこともこの作品に描かれている。だって、絵葉書売れないもん。
じゃあ売れるのは何か、っつーとバラの花。夜の女へのプレゼント。花売りには仕切ってるババアがいて、言いなりにならなきゃいけない。でも結局セールスの決め手は身の上話。
ここに商売の本質というものがものの見事に描かれている。つまり、セールスマンは商品ではなくて自分を売れ、という話で、要するに乞食の一種なんだわ。
誤解のないように念のため書いておくけど、セールスマン=乞食、と言われて、セールスマンをバカにするな、と思った奴は乞食をバカにしてる差別主義者だから。俺は乞食という存在は極めて原始的な形態の商人だと理解している。
もっともホームレスを見た事があっても、乞食って見た事がないけどな。


階級的にはホテル住まいのキャビンアテンダントのランは新富裕層だし、ハンは動物園という儲からないジャンルの公務員、これは没落した守旧層。なによりトゥイは産業革命以前の時代を思わせる児童労働から底辺の花売り。これ子供だから花売りで済むけど、数年もしたら性風俗産業に関わらざるをえないんじゃないの?ランが背伸びして口紅を塗ったトゥイを咎めたのも、その辺が理由になってるような気がする。


そういった階級を離れて、人としてかかわり、好きになり、その人の幸せを考え、尽くしたい、そういった純粋な気持ちがすがすがしい大団円に結びついているわけで、そういう、人としての真価こそが人を幸せに出来る、ってことなんだろう。


もうひとつ、キーワードとして「嘘」をあげておきたい。
このガキな、基本、嘘つきなんだよ。盗人だし。
でも大人も嘘つきで、動物園の飼育係と言えずに「マネジメントが仕事です」なんて言ってみたり、トゥイを引き取りたくて「家族です」なんて言っちゃったりする。ただ、それらは全部嘘だと認めてた。
でもそれ以上の嘘つきがいるだろ。「お前は無能だから俺の下で働き続けろ」とか言ってる奴。



この作品、ハートウォーミングな恋愛もののように日本で売ってるけど、最近資本主義になったベトナムからの、資本主義になれた日本では見えなくなった、何か強烈なメッセージがこめられてるように見えるよ。