あなたはいかが?「国民食」カレーへのこだわり

俺にはマイノリティの立場に立ちたがる習性があって、そのせいではてなブックマークや2ちょんねるで反日非国民呼ばわりされているわけだが、そうなったのには明確にこの時と言えるキッカケがあった。


あなたはいかが?「国民食」カレーへのこだわり


 子どもから大人まで人気があり、国民食ともいわれる「カレー」だが、好きなカレールーの銘柄はどれなのか、食べ方や作り方ではどんなこだわりを持っているのかなど、20代から40代のネットユーザー男女380名を対象に意識調査を行い、回答を集計した。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090410/trd0904101657009-n1.htm


カレーが国民食なら、非国民で結構だ。
俺は子供の頃から辛いものが苦手。今でもそうだけど、カレーは飲み物です、とか言うやつが信じられない。俺にとってはカレーは凶器と言っていいシロモノ。カレー食って辛いとか言って喜んでる奴は、濃硫酸か液体カミソリを口に運んで喜んでるようにしか見えない。


だから学校給食が苦痛でね。毎月配られる献立表に「カレー汁」という文字が2つ3つあってさ、その日は朝からブルーだった。カレー好きな奴はイエロー気分で給食が楽しみだったんだろうけど、俺は注射の日と同じくらい嫌な日だったな。
なにせカレーライスじゃねーんだよ。カレー汁だよ、カレー汁。汁だぜ、汁。パン食だったからな。


で、どうやってシノいでいたかというと、牛乳で薄めてた。牛乳で薄めると量が3倍くらいになるという諸刃の剣なんだけどさ。このカレー牛乳汁を鼻をつまんで飲んでた。
でも鼻をつまんでも辛いものは辛いんだよな。意味ねえ。
もしタイムマシンがあったら駆けつけて、あの時の俺に教えてあげたい。鼻をつまむのは嫌いなものを食うおまじないじゃなくて、臭いがしないようにするためのものだよ、って。


でもカレーで四苦八苦してるのは俺ぐらいだって、うすうす気付いてはいたんだ。
八宝菜のうずらの卵を食って毎回ゲロ吐く奴とか、「うま煮」という美味くない煮物で毎度毎度にんじんゲロ吐く奴とか、牛乳飲んで牛乳ゲロ吐く奴とか、いろんな偏食が身の回りにいたけど、カレー汁を食えなくて5時間目まで給食が机の上にあったのは俺だけだった。


そんなある日。
いつのことだろうと思ってインターネットのヤホオというサイトで調べてみたんだけど、

1982(昭和57)年1月22日、全国の小・中学校の給食で、全国学校栄養士協議会による全国統一メニューが実施され、子ども達にもっとも人気の高いカレーライスがその日のメニューに選ばれました。

http://housefoods.jp/data/curry/column/column09.html

このニュースをテレビで見て、小学校5年生だった俺はこう思ったね。


「放任された民主主義というのはマジョリティがマイノリティを迫害し続ける特性をもっている。ゆえに民主主義という言葉には「それゆえにマイノリティに配慮しなくてはいけない」という理想主義者の注釈がついてまわる。そして現実の民主主義においてはそれらが配慮されるためにはマイノリティによる闘争が不可欠なのだ。
私はここにいる、私は迫害されている、私は権利を求めるという闘争が必要になる。闘争しなければ「配慮」されることなど決してない。そしてその闘争は政治や社会や、ときには暴力によって迫害される。
しかし、その闘争によって勝利したとしても、それはその集団がマジョリティとして認知され受けいれられるということであり、マイノリティ全体が勝利するということではない。どれだけWeといっても現実にはそのWeにマイノリティが含まれることはない。
マイノリティにおいても、力があり闘争し続ける力ある集団はいずれマジョリティとなるだろう。しかし、その規模がどんどん小さくなり、闘争し続けるだけの規模をもちえない人々になったときに、その人たちは永遠に民主主義の名の実の元に虐げられ続けるのだろうか?
こう考えると民主主義の偉大な勝利という言葉を聞くたびに、その陰で民主主義に踏みにじられる人々のことを思うと嘔吐のでる思いをしないではいられない。」



ごめん、嘘ついた。

http://d.hatena.ne.jp/yuki_neko_nyan/20081109

をまるまるパクったんだけどさ。上手いことまとめてるなぁ、おい。
これに近いことを思ったわけよ。


そして俺の闘争は始まった。
「私はここにいる、私は迫害されている、私は権利を求める」
まず最初の闘争の場は、春の遠足の飯盒炊爨のメニューだった。

野外炊爨 [編集]
野外炊爨(すいさん)は、飯盒炊爨ともいわれ、飯盒で米を炊く事をいう。戦後、小・中学校の林間学校では必須科目だった。おかずはカレーと相場が決まっていたものである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%9B%92


今の学校は封建体制に従う奴隷の育成機関になりつつあるけど、まだ当時の学校は民主主義のルールを学ぶ場として機能していた。相場はカレーと決まっていたが、カレーと決めるための会議が存在した。そこで俺はバーベキューにしよう、という対案を示した。


しかし民主主義とは数の暴力であることを身を以って体験することとなる。なにせ同士は誰もいないのだ。

「嫌い」と答えた2.9%

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090410/trd0904101657009-n1.htm

そう、カレー嫌いは3%。30人学級だったから俺一人しかいなくて計算が合う。
初陣は惨敗。源頼朝は初陣で惨敗して伊豆に流されたが、俺は初陣で残飯を川に流した。


ところが転機というのは意外な形で訪れる。
親父の転勤で北海道へ。かの地には炊事遠足という行事があった。

炊事遠足は、主に中学・高校の学校行事で、全校生徒で鍋・釜・米・食材・燃料持参で河原へ行き、それぞれグループごとに自分達の好きな料理を作って一日過ごす、というものだ。
ちなみに、炊事遠足の定番料理はジンギスカン
http://mintbox1.exblog.jp/1023013/

なんという革命的展開。かくして俺はジンギスカンに救われたのであった。
中学生にもなれば給食を残す自由もあった。最後にカレーを食わされたのはいつだろう?今となっては成長させてくれたいい経験でもある。
だって、ジンギスカンつっても当時はマトンだったから臭いが結構強くて、苦手だった人もいたんだよね。だから豚肉も用意しよう、とか言えるようになったもん。

なぜカレーを作るのか理由を複数回答で聞いたところ、トップは当然「カレーが食べたいから(72.6%)」だった
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090410/trd0904101657009-n1.htm

やっぱ頭の中にカレーが詰まってる奴の答えは一味違うわ。つーか首の上に乗ってるのは頭じゃなくてカレーパンなんじゃねーの?