アマルフィ 女神の報酬〜アンドレア・ボッチェリ不要論者のために
静岡東宝6階で19:45の回。客入りは40人強となかなかの入り。
フジテレビの50周年企画とかで力が入ってるらしいんだけど、確かにいろいろと豪華なつくりにはなってた。
全編イタリアロケ、サラ・ブライトマンや福山雅治なんかが出てたり。
サラ・ブライトマンで先に言っておきたいのは、「Time to say goodbye」はソロバージョンじゃない方がいいってことかな。
一見いいように見えても、アンドレア・ボッチェリを切っちゃう、そういう映画だ。
ところで今日、静岡東宝で初回と最終回に上映されたのが難聴者のための日本語字幕版。
普通の邦画の日本語字幕版なら無視しちゃえばいいんだけど、なにせこれだけイタリア語の日本語訳字幕が出る映画、ついつい日本語字幕も全部読んじゃう。
それで困ったのが、普段からウザイというのもあるんだけど、天海祐希が伝言を伝える場面、あれは途中音量が低くなって聞こえにくくなったのは演出なの?上映トラブルなの?クライマックスで突然真っ暗になって数秒して場面変わるとか、これは演出なの?上映トラブルなの?
両方とも演出だと思うんだけど不安で仕方がないし、特に前者は聞き取れないというところがいいんじゃねーの?字幕で全部書いてあったけど。
ストーリーはサスペンス仕立てになっていて、最初はよく分からないんだけど段々分かるようになってきて、スケールも大きくなってきて、最後には上手くまとまる、シナリオは良く出来てると思う。
ただ、あー、上手くまとまってたねー、みたいな感じに終始して、だからなに?って感じはぬぐえなかったけど。
「Time to say goodbye」におけるアンドレア・ボッチェリのように、なんか足りないものがあるんだよね。
なんなんだろ?と思ってちょっと考えてみたんだけど、まず一つに外務大臣についてピストル突きつけられるまで描かれてないってことかな。佐藤浩一の側の伏線はあるんだけど、外務大臣のほうがなにもないから、人形を脅迫してるような感じ。
もう一つが、俺にとっての織田裕二と天海祐希のイメージがそうなだけなのかもしれないけど、漂わせようとしているアラフォーの恋愛心理みたいのに2人のキャラが上手くハマってないような気がする。
あるいは天海祐希は母親キャラにもハマってない感じ。いかにも動転した母親を演じてます、って感じで。娘を見失って防犯カメラの影像を見る前に、娘がトイレから誘拐された姿ではなくて消える様子が映されることが分かってるような言動をしてるんだよね。
映画としてお膳立てがきっちり出来上がっていて、かつ夢中にさせるだけの力がないがために、そのあたりのちぐはぐさが浮き上がって見えてしまって、なんとももったいない作品になってしまった印象。