アポカリプト

http://www.mag2.com/m/0000227749.htm
静岡銀幕週報より


「命がけの絶望と帰るべき場所」
6月5日、19:00からの静岡東宝1階での試写会。

俺にとって南米と言えばタカアンドトシだし、マヤといえば伊吹。その程度の認識しか
持ち合わせていないせいもあって、この映画のリアリティは半端ではなく思えた。
大掛かりに派手な演出なのに、少なくとも「誰が見ても破綻」「誰が見ても興ざめ」
という場面がない。
そのリアリティの中で切々と切なさを訴えかけてくる前半。マゾっ気があったら映画を
見ただけでエクスタシーに達しそうな陵辱の数々。ここで性的な凄惨さを描かないところが
アメリカ的といえばアメリカ的。ただそこが想像を駆り立てる部分でもある。

主演はブラジルのスーパースター・ロナウジーニョ。メル・ギブソン監督の説得もあり
サッカーを捨ててまで出演したらしい。しかし彼はほとんどなにもしない。
マヤの都会から奥地に来た奴隷狩りに襲われ、なされるがまま。かろうじてこそこそと
井戸に自分の家族を隠すのが精一杯。誇りを守るため以外の意味を持たない無駄な戦いを
することもない。ただ、されるがままに連行され、生贄台に乗る。無力。
三蔵法師のような皆既日食を生かしたハッタリをかますかと思えばそうでもない。
そんなロナウジーショに超人パワーを与えるのは・・・

女が競りにかけられる中、男は青く塗られ、その先に続く道の壁に運命が描かれている
あたりとか、ゴンゴロゴンゴロ転がってくるあたりとか、上手い。本当に上手い。
ここまで絶望をリアルに描いた映画も近年にはないと思う。リアルな絶望だからこそ
過去と現代との命の価値の軽重の差こそあれ、俺の実生活の中での絶望とのリンクが感じられる。
絶望した!現代資本主義に絶望した!
この作品は明らかに現代のアメリカの横暴をモチーフにしている。それに対してメル・ギブソン
残虐描写の対極にひとつの答えを照らし出した。
新しい始まりを探そう。

「新しい始まりを探そう」ってのが既にマイブームになってる。