古紙持ち去り

古紙持ち去り事案について次々有罪判決が出ている。

確かに法律的にいえば有罪判決が妥当なところだが、この問題の本質はそんなところにはないこと、誰かに声を上げて欲しいし、そういう争いをして欲しかった。



もともとこの問題は民間事業者のビジネスとして成立をしていた古紙回収に行政が介入をしてきたことに始まる。

以前テレビで見たどっかの区役所の公務員が言ってた。

「登録をしてください。そうすれば合法的に持っていくことが出来るのですから」

これが公務員の自覚なき横暴だ。

区役所に登録して「正規の業者」になるということは、決められた日に必ず、出された全量を引き取る、ということ。

個人で営業している人なら風邪を引いても休めないし、季節波動の大きなこの商売で最大量に合わせた設備を持たざるを得ない、

そんなリスクを負えと簡単に言いのける公務員に吐き気すら覚える。



そもそも古紙「回収業」なんてのは、地域による事情が大きく、こういう人たちがやってるこういう商売だとは一言では表せないものがある。

ぶっちゃけ、形を変えた乞食の延長の商売。決まった形なんかそもそも存在していない。根無し草や季節に頼った商売の穴埋め、そんな感じ。相場に頼った商売だから相場がよければ専業で食っていけるだろうし、そうでなければ他でメシを食う、と。



それでずっと成立してきたわけだよ。それがほんの一時期、古紙相場が暴落した時に、リサイクルだのクソだのと抱き合わせで行政がしゃしゃり出てきて乗っ取っただけじゃねーか。

ヤツら、その自覚すらないもんな。自分たちは正義のリサイクルだと思ってやがる。都合のいい大規模な乞食の延長に登録業者というキレイなオベベを着せていい子いい子して、言うことを聞かない小さな乞食の延長を駆除してキレイキレイって。

そりゃ根無し草は面白くないだろうよ。古紙はもともと自分たちのものじゃないか、地域によってはそういう感覚が残ってる人が多いのだろう。



俺は仕事の延長上の興味と実益を兼ねて、「拾い屋」の真似事をしばらくしていたことがある。

古紙回収の日の早朝に回って、ゼニになりそうな本や雑誌を引っこ抜いたんだけど、暗いうちにはほとんど出てないし、明るくなったら人の目があるし、なかなか上手くいかなかったな。

モノを物色してると、古紙を出しに来たり通りかかった人と接することになるんだけど、その冷ややかな目といったらね。たまらないよ。乞食を見る目ってのはね。

ずっと監視してて俺がやったんじゃないことは分かってるのに「お前らが散らばしたんだから全部縛っていけ!」って怒鳴ったじじいとか。お前「ら」って言われても知らねーよ。でも乞食は人間じゃないから誰でも一緒なんだろうな。

そんな目を見てきて、随分と人間不信になったものだ。