靖国神社はどういうことになっていたか

ムーンライトながらで上京、そのまま中央線で市ヶ谷、靖国神社着は5:40頃。



結論から言うと期待してたような面白い出来事は起きなかったものの、そのカケラはあちこちに落ちていて興味深い人間観察の時間となった。



すっかり宗教行事というよりは年中行事化、俗化、形骸化していた。参拝者の多さには素直に驚いたものの、鳥居で礼をする奴なんざ少数派だし、参拝の仕方もまちまち、正午に黙祷してるのは関係者と信者のみ。正午の合図もなかった。



九段下の駅からの道すがらには、やれ在日特権がどうしたとか、河野談話がどうしたとか、移民受け入れがどうしたとか、ビラを撒いてる集団が多かった。靖国の参拝客はそういうのが大好きなんだろう、と思ってたけど、ほとんどの人がスルー。

安倍前首相が来た時に「TBSとテレビ朝日はシナの手先!」とか叫んでた人がいた。その声に同調したのは一人だけ。むしろ失笑されてた。



絶えない参拝客の波を見ているうちに、この人たちがなにを考えているのか、よく分からなくなってきた。

靖国の参拝客の大多数は靖国神社という宗教の信者でも、宗教と結びついた「国体」を守ろうというウヨク思想の持ち主でもないようだ。

戦没者と純粋な気持ちで向かい合いたいとか?ならば靖国である必要はないし、向かい合うための環境が必要なら千鳥ヶ淵戦没者墓苑に足を運ぶ人がもっと多くてもいい。

まさかみんながみんな、霊が神社にいると信じるオカルトマニアではあるまい。


動画の最初のほうで開門前に列が出来ている場面がある。こうやって並んで待つのが当たり前のように。しかし開門してみると慣れた風の人はどんどん脇から入っていく。突然行列が礼。どこかの団体だったようだが、その団体の後ろに一般の人がそうやって並ぶものだと思ったのだろう、続いて列になって入っていった。

こういう群衆心理がいわゆる沖縄集団自決の最大の原因だろうし、何の疑問もなく団体の後ろに連なって靖国神社の境内に吸い込まれていく多数の一般参拝客を見て空恐ろしいと思った。







正午の黙祷のあたりは三脚使用。三脚に固定するのは面倒だけど画質がいかにもそれっぽくなる。