レスラー〜女性の感想は聞きたくない

静岡シネギャラリー左側で15:45の回。客入りは35人ほど。
1年もほぼ中盤に差し掛かって、今年公開の映画の残りのラインナップを見る限り、今年一番の映画でほぼ確定だと思う。

10年以上前の別冊宝島に、流智美が来日中のルー・テーズビル・ロビンソンニック・ボックウィンクルと寅さんの映画を見に行った話を書いていた。もちろん日本語などわからない3人、最初はただ日本で人気の映画だから、という理由で見に行ったらしいが、しかし3人それぞれのアプローチで寅さんとレスラーとの共通点を見出して満足したという。
この映画に関して俺が指摘しておきたいのはそれだけだ。


プロレスに限らず、死ぬまであっちの港こっちの港で女をとっかえひっかえする船乗りのような、そんなノスタルジックな流れ者は90年代に絶滅してしまったんだろうし、だから80年代最高なんだよな。そして80年代は当たり前のようにロックがそばにあった、ということ。
そりゃロクな死に方しないわ。辛くても孤独でも泣きつくとこなんざ、ありゃしない。そして輝けるところはリングだけ。
それがこの映画の全てだ。

ランディという名前からランディ・サベージがモデルなのかと思ってたんだけど、特に誰がモデルとか、そんなことはないみたい。あの時代のレスラーの象徴的な存在。
ステロイドは打つわ、試合前の打ち合わせはあるわ、それもすべて全人生をかけてプロレスラーであるため。
決してプロのレスラーという意味ではなく、法をも超える幻想の最強人種・プロレスラーであり続けることが人生の意味と見出した以上、社会人として最低人間であり続けざるを得ない。


その姿は、職業ってものの意味を改めて問いかける。
平日はスーパーで肉体労働で生計を立て、週末はリングでわずかなファイトマネーを稼ぐ。彼の職業って、なんだ?金額を優先するならスーパー店員だろう。しかし彼は断じてスーパー店員ではなかった。スーパー店員である時もレスラーだったからだ。
お前は何者だと聞かれて、収入の手段以外を答えられる奴がどれだけいる?
たとえば9時5時で仕事をして、あとはプライベートだと思ってる奴、お前は何者なんだ?


俺が男子プロレスを見るようになったのは、実はずいぶん遅くて90年代に入ってからのこと。だから俺の知る男子プロレスはこの映画に描かれている世界とはだいぶん違う。
しかし、メジャー団体とはかけ離れたマイナー団体では、この映画のようなにおいがプンプンしていた。
静岡で俺が見た中でいい意味で印象的だったのは、当時の静岡産業館の新格闘プロレスで青柳館長が有刺鉄線を足に巻いて蹴りまくった試合。94年だったっけか?200人ぐらいの観客のためにあれだけ血を流してくれたりとか。


つーか、分かる人には「男子プロレス」という表現から分かるとおり、俺は女子プロレスからプロレスを見るようになった。もう少し言うと、ビューティペアの時代のテレビ中継で流れていた小人プロレスがキッカケだった。
北斗晶あたりに言わせると、この頃の、大森ゆかり以前の女子プロレスラーの末路はロクなものじゃなかったそうだ。もともと幸薄いから女子プロレスに入ってきてる時代のこと。

その名残か、90年代になっても女子プロレスはどこかいかがわしく、ノスタルジックな輝きを放っていた。
私にはここしかない、もう時間がない。だから必死。
そんな暑苦しい世界、クールな2000年代に受け入れられるわけがない。


なんてことを思いながら見ていた。
レスラーつーのは見栄っ張りで自己中の権化。そんなのは、世の中にいくらでもいるしな。俺もそうだし。
そんなヤツらは結婚なんか向かないし、ロクな死に方しない。それを前提に生きた方がいいようだ。


作中、娘のご機嫌を取るのに服をプレゼントするんだけど、本人が直感で選んだ服はセンスが遺伝しなかったようで受け入れてもらえず、馴染みのストリップ嬢が選んでくれたものが喜んでもらえる。
女には女にしか分からない世界があるし、男には男にしか分からない世界があるようだ。
この映画は、男にしか分からない世界なんだろうか?正直、女性の感想は聞きたくない。


追記
流智美つながりでこんなエントリを見た

命とは、レスリングとは、プロレスとは…認知症バーン・ガニアが人を投げて「殺人」か。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090227/p1

レスラーは強暴だから気に入らないと暴れた、というわけじゃなく、これがレスラーだ、ということだと思う。