MWムウ〜あえて言おう、ゲイであると

静岡ミラノ1で7月4日21:20の回。客入りは20人ほどとなかなかの入り。

手塚治虫原作。
手塚治虫って登場人物が狂ってたりしても絵がかわいくて、俺にはそのギャップがちぐはぐに思えて、どうにも好きになれない作家だった。でも後から自分の画力にコンプレックスを持っていたり、「絵ではなく記号」とか言ってたり、劇画に対抗心を抱いていたり、といった話を知るにいたって、ようやく絵面の下に流れるものが見えるようになった。漫画家ではなくストーリーテラーとしての手塚治虫の魅力に気づいたのは、つい最近のこと。
それから読み始めたので未読の作品が多く、MWもそのうちの一つ。

ストーリーとしては主人公の2人が何者なのか、なんでこんなことをしてるのか、虐殺の島と政治家の関係がなんなのか、肝心なところを伏せたまま進めて、徐々に明らかにしていく謎解きの手法を使ってるんだけど、じゃあこの主人公2人の関係はいったい何なの?なんでこういうことをしてるの?ってところがどうにも納得がいかない。


で、ちょっと調べてみたところ、どうもこの2人はゲイらしい?
シナリオではそうと表現されてないと思うけど、なんか確かに妙な雰囲気が感じられたのは確かだ。
この、見た目の記号として表現されていないことが絵面の下に流れている、という点で結果として手塚マンガと共通した部分があるんじゃないかとは思うけど、それは映画としてはマイナスでしかない。


wikipediaを見たら驚くべきことが記述されてた。
結城は名家のボンボンで、離島に誘拐されたことがあって、そのときに毒ガスの漏洩事故があって、チンピラだった賀来に助けられて島を逃れたんだけど、途中で賀来にレイプされてた。
これでようやく話に一本筋が通ったよ。
ここが分からないから賀来が神父であり悪であり弱者である立ち位置が分からないし、救済の手を伸ばそうとするストーリーが与える皮肉な痛みが分からないし、結城がただの復讐キチガイモンスターにしか見えなかった。


なんにも知らないままだと予告編にあるような「世界を変えるのは破壊か、祈りか」って、そんな対立軸はそもそも存在しないよ。