死の国・熊野で鳩ぽっぽ首相を思う・熊野2泊3日

今日も今日とて朝飯食わずに紀伊勝浦駅に立っていた。まったく進歩がない。
とはいえ、これから目指すのは新宮。この辺ではネットカフェもある一番大きな街のはず。朝飯を食う場所ぐらいあるだろうという読みは正解。駅そばが早くも営業中。
うどん食ってふと見ると、2階の喫茶店と駅前の喫茶店でモーニング営業、商店街を歩けば弁当屋めはり寿司を売ってたりする。うどん食ったのは早まった。



とりあえずめはり寿司を購入して昼飯用に持ち歩いて速玉大社へ。
速玉大社と俺。その昔、「はやたま」という夜行普通列車が走ってたけど、なにを意味してるのか分からなかった。おしまい。

速玉大社自体は普通の神社だったような。
ただ、この新宮という町自体が妙な雰囲気を持ってる。
人口もそこそこあるようだけど、その人口をまかなうには流行ってそうもない地元向けの商店の数が多い気がする。コンビニなどは見当たらず、オークワというこの界隈でよく見るショッピングセンターが一軒、ブックマーケットが一軒、チェーン店らしいチェーン店ってその程度じゃないだろうか?


タクシーの運転手が、新宮という町は町全体が神のいる場所としての新宮の力を持っているという。といっても俺がタクシーに乗ったんじゃなくて、タクシーに乗って回ってる人のコバンザメをしてたんだけど。
どう言うか、人通りは少ないんだけど、なんか活気があるような、変な雰囲気。


あと、妙に圧迫感のある山のふもとに、寺だの神社だのがあちこちに。
その神倉山に神様が最初に降りてきたのが神倉神社。御神体はゴトビキ岩と呼ばれる、市内からも見える神社。この登りがこれ。

下から見上げると平衡感覚がおかしくなるほどの角度。
鎌倉時代の石積みにバリアフリーの概念なんかあるわけがない。このおっちゃんたちが言うには時々落ちて怪我する人もいるとか。

これなんか見てて思うのは、那智の滝もそうだけど、まず始めにある原始的な自然信仰の持つ説得力ね。山肌にごつい岩がむき出しに浮いてるのが下界からも見えるってのは結構不気味だし、畏れ祭るのは自然のこと。

速玉大社の神宝館には神幸船があった。神輿を乗せた船。古くは本宮と新宮は川で行き来してたという。
この船が、昨日見た渡海船によく似てるんだ、これが。神宝館は撮影禁止だったから写真はないけど、渡海船はこれのパクリだな。
とか、そういうところばかり見てるからダメなんだな、俺は。世間にとっての速玉大社は縁結びのパワースポットらしくて、ナギの木を触ったりするらしい。らしいつーか、なんでみんな木に触ってるのか、気に障ってたんだ。



新宮駅に戻ってくると鳩ぽっぽの歌碑発見。
思えば今回の旅は、来週の総選挙で民主党に熱狂的に投票する行動がええじゃないかに似てるのでないかという着想から始まった。鳩ぽっぽで終わるのが一番綺麗に締まりそうだ。
ただ歌碑にある歌詞の鳩ぽっぽが、俺の知ってる鳩ぽっぽと全然違うことが気になったけど、民主党の鳩ぽっぽ首相は俺の知ってる鳩ぽっぽだろうか?



つーことで紀伊半島を後にするわけだけど、ここはすごいところだね、しかし。紀伊長島という港町の駅から1駅来ないうちにこんな高さまで山を登るんだから。
またその山の植物がすごいね。もうこのくらい育ったからもういいやとか、育ちすぎても冬場に維持するのに困るよねとか、一切なし。ひたすら伸びようという貪欲な生命力。
こういう生命力って見てて飽きないどころか、なにか与えてくれるような気がした。


つーことで、旅行に行って来ました。死の国・熊野に。って、突然「死の国」とか言い出しちゃったけど、この本の意味が言ってみてよく分かった。

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ただ、日本の原始宗教と神道・仏教をつなぐ修験道に関する知識がまるでないから、上手くまとめられないんだ。