飯田線(4)長篠の戦い

天竜峡から来た電車は案の定の激込み。正直言って山道つーか山の道だったところを歩き回ってろくすっぽ休んでない。疲れた。けど座れない。


ここで一計を案じて、というほどでもないけど後の電車に乗ることに下。とはいえ天竜峡から来る電車は例によって2時間待ちだし、これも込んでるだろう。
だから本長篠までは頑張って立って、本長篠始発の電車に乗ろうと。そういえば長篠の駅のそばには、武田勝頼織田信長の鉄砲部隊にボロ負けした現場があったはず。


本長篠で下車。17:15着で、本長篠始発の豊橋行きは18:25。
で、合戦の場所は・・・?って、ここじゃねーじゃん。
長篠の駅、と漠然と思ってたから降りちゃったけど、となりの長篠城という駅が現場の近くだと判明。
とはいえ歩いていけそうな距離だし、歩いてみる。


途中の酒屋でビールと「長篠城」という吟醸酒の小瓶を購入。長篠城長篠城で乾杯しようという企画を急遽たてた。
歩くこと20分ほど。長篠城前というバス停にたどりついた。けど、どれが長篠城だかよく分からん。


標識を探すと、武田勝頼の本陣への矢印があったのでたどってみる。行き着いたのは「本陣」という料理屋だった。
もう少し行くと医王寺という寺があって、ここに一通り説明があった。

これとその後に長篠城に戻ってそこにあった説明文とあわせて、俺が思ってた長篠の戦とは全く違う歴史があったのだと思い知らされることになる。
武田勝頼世襲のバカだと思ってたけど、決してそうじゃないな。

この写真の真ん中奥の山が武田勝頼の本陣で、左右の山には武田軍の砦があるわけ。敵が田んぼになってる平地を攻めてきたら挟み撃ちになっちゃう。
一方の長篠場は2方を川に囲まれてるとはいえ平城。しかも包囲しちゃって兵糧庫も落として、兵糧攻めみたいな状態。
どうやったって負けっこないと思うよ、普通は。


ところが鳥居強右衛門という足軽長篠城を脱出して、徳川家康に援軍を頼んだら織田信長を含めて大軍が来ることになっちゃった。
この鳥居強右衛門が城に戻るところをとっ捕まえて、城に向かって「援軍は来ないから降伏しよう」って言わせようとしたら「援軍が来るから頑張れ!」って言われちゃって、その場で磔にしたものの手遅れ。

そういわれてみると、この絵、見たことがある。


なるほどねー、勝ち戦さが急転、負け戦さになっちゃったわけか。
武田家が京に出るためには欠かせない場所、信長との決着はいずれつけなきゃいけない、そして人数は少ないものの陣形は有利、ならばここで、という必死の判断だったんだろう。



人気のない夕方、城は残っていないものの、2方を川に囲まれて淵に守られていた地形は変わっていない。
鳥居強右衛門が城を抜け出した場所に立つと、武田の兵がどこかに潜んでこちらを伺っているような気もする。
実際に合戦が行われたのは、ここ長篠城ではなく3キロほど離れた設楽原だそうだが、合戦の供養塔があったので、酒を酌み交わした。