ネット投げ銭について考える(1) 投げ銭を阻む嫌儲思想について

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例えばgoogleで「投げ銭」を検索すると、上から下までネット投げ銭の話しか出てこない。
俺が調べたかったのは例えば「投げ銭」そのものの歴史とか、出雲の阿国投げ銭をもらってたのかとか、チップと投げ銭の関係をどう考えるべきかとか、啖呵売はいつから投げ銭芸になったのかとか、そんなところだったんだけど。
Googleの検索結果だけを見ると、ネット投げ銭は十分に定着してると思うよ。


俺がネット投げ銭というものの考え方に初めて接したのは、1998年だったんじゃないかと思う。ひつじ書房松本功さんが言い始めたのを、「まぐまぐ」にいた深水英一郎さんがなにかで紹介してて読んだように記憶してるけど、ちょっと記憶が曖昧。


ただ一つ言えるのは、「まぐまぐ」はメールマガジン読者から発行者へのゼニの流れを想定してて、クリック保証広告のブレイクに乗り遅れちゃったんだよなー。
ちなみにブレイクにものの見事に乗ったのが、ライブドアになる前の堀江ホリエモンの「オン・ザ・エッヂ」と藤田晋の「サイバーエージェント」で始めたクリックインカムだったり、サイバークリックだったりするわけだ。そんなこともあって広告掲載に狂奔するホームページ運営者やメルマガ発行者が一層胡散臭く見えたもんだ。


さて、ネット投げ銭がなぜ定着しないか、ということを考えてみる。

tonkotu69 webサービス アフィですら毛嫌いする人が多い日本でどこまで根付くことができるだろうか。

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この手の嫌儲思想みたいのは確かにネットには確実に存在する。ゼニは穢れたものという日本人が持ちがちな金銭哲学以上のものがネットに存在する。
つーか、15年前のネットでは至極当然の言動だった。いわく、インターネットは学術のための公的なものなんだから、そこで商売をするなんて破廉恥な行為だ、と。


もっともこれは当然と言えば当然のことで、ネットのリソースってのは今以上に限られた貴重なもので、それを広告なんかで無駄遣いされるとムカつく、って感情があったんだろうと思う。テレホーダイの時間帯に写真1枚読み込むのに1分以上かかるなんて当たり前の時代のこと。
あるいはそのころ、インターネットでビジネスといえば、ごく当たり前のように「レッツビギンやで!ポジティブやで!」的なマルチ商法の勧誘を意味してたことも挙げられるだろう。
ところで最近あまりマルチ商法をやってる衆を見ないんだけど、あれ全部アフィリエイト商売に流れたのかねー?
そのあたりの経験が生んだアレルギー反応が「嫌儲思想」の源流になってるに違いない。