キャピタリズム

MOVIX清水8番シアターで10:20の回。客入りは7人。


あのサブプライム暴落の直後の2008年10月14日、東京証券取引所では急な下げに対する揺り戻しで日経平均が史上最高率の暴騰をした。その時俺は東京証券取引所にいてこういう動画を撮った。

本当に恐ろしかった。だってあの瞬間にも億万長者が生まれ、破産者が生まれてるんだから。オンラインの向こうでは命や人生を賭けた切った張ったがあるのに、その中心地はまったくの無音なんだから。
感情のないマネーが、ただの数字としてぐるぐる回る様子を俺は呆然と見ていた。


マネーがただの数字になったとき、人は感情を失う。だからこそ日本円で2ケタ兆単位の税金から補填しておきながら、100億円単位のボーナスを支給して平然としていられる。
わずかのゼニで家を追い出される人もいるのに!



とはいうものの、従来のマイケル・ムーア作品同様に映像は恣意的に流用され、加工されている。あたかも一方的な被害者として描かれている貧民も、一刻はサブプライムローンの恩恵を受けていたことは決して描かれない。
極端な話が持ち家を失えば全てが清算出来るシステムは、日本の住宅ローンに比べればはるかにマシだと言うことも出来る。にも関わらずこの映画ではアメリカが最低で、日本は全ての労働者に労働団結権が認められる素晴らしい国だ、という描かれ方をする。



そうやって眉にツバをつけながら見なければいけない映画ではある。
しかしこの映画に存在する怒りは本物であり、共有するべきものである。感情を失ったがために迷走する資本主義を、あるべき姿に戻すのはやはり感情だ。
そして俺たちは感情のぶつけ先として、金持ちだろうが貧乏人だろうが原則として平等な選挙権を持っている。だからこの権利は感情的に行使していいものなんだと確信できた。


一般的なアメリカ人がどう思ってるかは知らないが、少なくともマイケル・ムーアは古き良きアメリカがいいものだと思っていて、そのアメリカは他国の犠牲の上に成り立っていることを知っている。だから今、世界はマイケル・ムーアの叫びを聞くべきだ。