オーシャンズ〜作り物ドキュメンタリー

静岡ピカデリー1で17:45の回。客入りは40人ほど。
この手のドキュメンタリーは大好きだから非常に楽しみにしてた。

俺には夢がある、という話を何回か書いてきたけど、その中の一つにダイビングのライセンスを取ってマンタと泳ぎたい、というのがある。その念がますます強くなったなー。
やっぱ海って素晴らしい。穏やかで優しくて、命の源であり、厳しくて激しくて命の墓場でもある。

映像も素晴らしい。大きいスクリーンに灯台より高い波とか、それより高い波に持ち上げられ叩きつけられ木の葉のように舞う船舶とか、何十キロと続く断崖に打ち寄せる波とか、イワシやアジの群れが一つの生命体のように固まってるところとか、その群れに飛び込んで行く海鳥とか、ユニークな顔をした妙な生き物とか、生態系が求める命のやりとりとか、どっかで見たことがあるけど、いくら見ても飽きない映像が続く。


ところが段々話がおかしな方向に進んで行く。要は人間が自然を破壊してます、と。それはそれでその通りなんだけど、その訴え方がどうにも変。


定置網にかかって動けない魚や亀が海の中に吊るされてる。生態系の上位にいる人間が下位の動物に対してなにをしてもいいわけじゃない。確かに狙いの魚以外も一網打尽にして、場合によっては命を奪っておきながら投棄すらする定置網には問題がある。


しかし定置網にかかって逆さ十字の磔刑にされたかのように海に漂う屍が、哀れさと裏腹に優雅で美しいものにでも見えたのだろうか。続く場面では信じられない生き物の姿が映された。
フカヒレを切られて丸太ん棒にされたサメが海に捨てられた。もちろん泳ぐことは出来ない。しかし泳ごうと左右にゆっくりと体をひねらせながら、エラから血潮を吹きながら哀れで優雅に泳ぐように海底へと落ちて行く姿が涙を誘う・・・のだろうか?
あの動き、おかしいだろ。もっと必死に暴れたりもがいたりして、生きようとするんじゃないの?

クルーゾー監督は「実はあのサメはロボットなんです」と打ち明ける。「私たちは実際の漁の映像を見て、それを忠実に再現した。だって私たちはサメがそんなひどい目に遭っている場面に立ち会い、観察者としてカメラを回すことなど出来ませんから」

asahi.com(朝日新聞社):動物との一体感表現 「オーシャンズ」の両監督 - 映画 - 映画・音楽・芸能

お決まりの捕鯨やイルカ漁を残酷なものと描いたりして、coccoじゃないけど強く儚い者たちの憐憫を美として感情的に描写したいがために、命に対する畏敬をどこかに置き忘れてきてしまったように思えた。