まちカフェSHIMIZUに思う、社交の場とは何か

まちカフェSHIMIZUが2010年1月26日にオープンする。
まちカフェってなんなの?って調べてみると、どうもカフェをオープンさせて地域コミュニティの中核になる場を提供していこう、というムーブメントのようだ。


「コーヒーハウスの時代」という言葉を教えてくれたのは文章の書き方を教えてる「文章サポートファーム」の青木さんだ。
17世紀後半から18世紀にかけてのイギリス、というから大航海時代が終焉を迎え、行き場のなくなった船乗りたちが居場所を求めていた時代。世界中のいろんなものを見聞していた船乗りたちが時を持て余し、社交し、その刺激的な話題の臭いを嗅ぎつけてさまざまな人が集まってきたようだ。

コーヒー・ハウス―18世紀ロンドン、都市の生活史 (講談社学術文庫)
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「さまざまな意見の人たちが、コーヒーの香りと紫煙の中で、政治を論じ、権力を批判する」。17世紀半ばから18世紀にかけロンドンで繁栄した「コー ヒー・ハウス」は、そんな場所だったらしい。時代背景といい、そのブルジョワ的喧噪ぶりといい、江戸時代の「浮き世風呂」や「浮き世床」を彷彿とさせる が、著者が「人間のるつぼ」と表現するこの市井のサロンには、政治家、芸術家、詩人、小説家、ジャーナリストから、政府の隠密、海運業者、株屋、はては賭 博師、詐欺師、スリ、その他もろもろの犯罪者まで、およそ大都会にうごめくありとあらゆる人種が立ち混じっていた。その日常のにおい、出入りする 「ボー(粋人)」「ウィット(才人)」の人間模様、政治・経済・社会的機能を、著者は、ダニエル・デフォージョナサン・スウィフト、日記作家のサミュエ ル・ピープスらの記述、当時の新聞記事、広告などから、克明に活写している。しかし、そうして再現された「コ-ヒ-・ハウス」なるもののかたちは、町人だ けの社交場だった江戸の湯屋とはかなり様相が違うようだ。
この「人間のるつぼ」は、政治的には「トーリー(保守党)」と「ホイッグ(自由 党)」の苗床だったし、経済的には世界最大の保険機構「ロイズ」を萌芽させる土壌だった。文化的には、「詩人ジョン・ドライデンを中心として17世紀末の イギリス文学、とくに詩と演劇の分野に大きな影響を与え」「ジャーナリズム、エッセー文学の成立に貢献した」。そればかりか、たとえば、ロンドン大火 (1666年)の原因として「カトリックの陰謀事件」を捏造するようなデマゴギー機関としての役割も果たしている。言ってみれば、ロンドンのコーヒー・ハ ウスは、イギリス18世紀文化の内臓機関だった。この本を読むと、それがよくわかる 。

今、求められているのはそういう場なんだろうと思う。
そのひとつがまちカフェとして具現化している。


「まちカフェSHIMIZU」の・・・名前はどう出したらいいんだろう?本名出していいのか、HNの方がいいのか分からないけど、オーナー・・・と言っていいんだろうか?
まあ、とにかく「まちカフェSHIMIZU」をやろうとしてる方は俺とちょい縁のある方で、俺より一回り以上年上。清水のB級グルメとしてモツカレーを売り出すのにもかかわってる方。
ブログ見てる感じではあれれ?って急に決まった感じだけど、水面下ではいろいろとあったようで、急に決まってドタバタしてるように見えて、実は案外とコンセプトは錬られてそう。


例えば俺は知らなかったんだけど、「清水アート・クラフトフェア」つーイベントがあるらしい。手作りのクリエイターが作品を並べる、つーから静岡の「ストリート・フェスティバル」みたいなものか?
そういった土台を元に、小棚レンタルで作品を展示販売したりするようだ。


さまざまな経験を積んできた団塊の世代という船乗りたちの社交の場が生まれようとしている。そしてそこから出会いとコミュニケーションと、そして新たななにかが生まれてくるかもしれない。
「ネットサーファー」という言葉を最近聞かなくなったけど、ネットの波に乗って無駄に「ネットで真実を知った」俺たちの社交の場としてtwitterがある、のだろうか?でも、そこからなにか生まれたかい?


オープニングイベントとして16:30からアートセラピスト満井正子の「自然とともに シュタイナーワールド」の講演、そして18:00から「隣人祭り in まちカフェSHIMIZU」がある。
孤独死したフランス人に気付かなかったことから始まった隣人祭りなー、これも思うところはいろいろあるけど、その話は別の機会に。