朝青龍は如来となった

朝青龍の会見、見たか?
こんなナイスガイを追放するのが日本相撲協会だよ。
なーにが品格だ。なーにが所作だ。
朝青龍が支えてきたんじゃないか、大相撲を。
朝青龍だから支えてこれたんじゃないか、大相撲を。
あんな朝青龍だからこそ出来たことじゃないか。
朝青龍の人間としての強さを、使い尽くすだけ使って、そこが都合悪くなりゃポイだ。


今日の朝青龍を見てると、燃え尽きた男の姿とはこういうことを言うのだろう、と思う。
こういった突然死を迫られたとき、人はああいう表情でいられるだろうか。無念さのあまり、まだまだ旅の途中なんだ、と叫んだりしないだろうか。
朝青龍は毎日毎日を悔いなく精一杯、必死に生きてたに違いない。そうでなければ、ああいう顔にはならない。毎日毎日燃え尽きていた男は、毎日毎日なにを燃やしていたのだろう?
道を究めて、行き着いたところがここだった。
ここが終着駅だと、気づいてしまった。


内館牧子は仕事と業界に敬意を払えと言った。
しかし敬意を払われるべきは道を極めて悟った朝青龍だ。
朝青龍に「横綱」は相応しくない。道を究めて悟った如来と言うべき存在だ。