いつもニコニコしてる人

裁判傍聴をしていると、よくカッとなって犯罪を犯しちゃった被告人に感情のコントローを求める場面を見かける。そこで被告人はこれからは我慢します、とか答えるわけだけどさ。
感情的になったら深呼吸します、とか、子供のことを考えます、とか、いろんな手段を考えて答える被告人質問を聞きながら、俺はいつもおかしいなー、と思ってる。
だって、公判で検討されてることは感情のコントロールではなく、感情の発露として起きる短絡的な行動のコントロールの問題なんだから。


これはいつもニコニコしてる人にも言えること。
あれも感情をコントロールしてるんじゃなくて、感情の現れやすい表情筋をコントロールしてるに過ぎない。ニコニコしてる人の表情筋が作るニコニコは俺を幸せにしてくれるけど、だから俺はいつもニコニコの人のニコニコを信用しないし、逆にいつもニコニコの人が裏でとんでもない言動をしていても幻滅しない。


ここで分かって欲しいのは、いつもニコニコの人をまるごと信用しないのではなくて、ニコニコの表情とそれがもたらすであろう効果だけを信用しないというところ。そしていろんなことを考えた結果行き着いてニコニコしてるんだろうなー、という、それまでの人生へのリスペクトがあるというところ。
俺は世間で善人と言われてる人を普通の人呼ばわりするし、悪人と呼ばれてる人も普通の人として扱う。人を見る目がないとも言われるけど、そもそも人を評価なんかしてない。


いつもニコニコしてる人は、自分が感情をコントロールしてると思ってるのだろうか?そこをぜひ知りたいけど、いつもニコニコしてる人にそんなことは聞けない。だって人に幸せを振りまこうとしてる人に「それって演技ですよね?」って聞くに等しいことだから。
さすがにそこまでの勇気はない。