死んだ商店街が今日も生きてる

百貨店は潰れて当たり前だと思う。
静岡の伊勢丹でもそうだけど、


平成22年の静岡のどこに「ヤングな婦人」が生息してるのか、教えて欲しい。
そりゃあ非実在ヤング婦人相手に物を売ろうってんだから、売れるわけがないし、実在する客が寄り付かなくなる。
こういうのを誰も疑問に思わないんだろうかね?誰も口に出さないんだろうかね?昔ながらの感覚で昔からの惰性で、年寄りの習慣的購買行動という過去の財産で、なんとなーくメシが食えるからってこんな商売やってるんだろうね。そういう店舗は淘汰されろ。
もっとひどい商売をやってた地方の商店街のように潰れてろって話だ。


魅力的なテナントが集まる商業施設なんかは、みんな店賃払って商売やってるから必死。店子は店賃払わなきゃいけないし、大家である商業施設だって土地を借りてたりするわけだし。
ところがこの新陳代謝が効かない地方の商店街の多くは、建物が自分の持ち物で店賃がかからない。だから店賃払ってたら通用しないような商売でも平気で生き残れちゃう。
下手すりゃ年金で収入があったりするから、それでメシが食えちゃって、店を開けてても商売じゃなかったりする。
そんな店が集まって成り立ってる地域に1軒や2軒まともな店があるからって、誰がわざわざ行こうと思う?

自爆テロ型の爆弾

酒ゲーム★鈴木酒店:ちょ、ここにもできるの?!ヽ(`Д´)ノ

とは、コンビニや安売り店ではなく、そういう店のことを指していうべき表現じゃないんだろうか?


以下書くのは、別に曲金あたりを指して書くわけじゃないことをあらかじめ断った上で、静岡の商店街についての文句は以前にも書いたからそちらを読んでもらうにして

浜松は確かにヤバイが、静岡が持ち上げられると複雑 - NOW HERE

成功していると言われてる呉服町の商店街にはひとつ特徴がある。それは死んでる店が少ない、ということ。店舗の新陳代謝がきっちりと進んでるの。寂れた要らない店が少ないんだわ。強いて言えば、伊勢丹の南の帽子屋とハンコ屋は要らないと思うけどさ。
ただ、それ以外の寂れた店ってきっちりと改装するなり、商売を畳むなり、2階に引っ込んで1階を貸すなりして、退場していくのよ。
そして店賃を払ってでも回る店がどんどん出てくるわけだ。そして店が客を呼び、地域の価値を上げていく循環になってる。


ところが死んだ商店街はどうだ?
自爆テロ型の爆弾店が居座って寒々しい空気を演出して、今の実態に見合った家賃に下げたら取り返しが付かないし補助金が出るかもしれないからって、因業大家が空き店舗のままにシャッター下ろしてたり。
その寂しさがますます周囲の客離れを呼んでるんだから、まさに自爆だよ。
なのに内輪の悪口を言いにくいからって、往々にして衰退の原因を外部に求めるんだよな。


こういった死んだ商店街の問題は、死んだことに気づかずに幽霊のように営業してることだ。
たとえば正直なところ、いまの曲金商店会がどうなってるか、俺はよく知らない。イトーヨーカドーの開店騒動の話を聞いて、その片鱗を見かけて嫌な印象を持って以降、興味もない。俺の中では存在しないも同然。だからあの後にいい店が出来たりしても、知りようがない。
ツイッターで見かけるまで鈴木酒店って知らなかったし。知って興味を持って以降も、あの通りの一本西の通りは毎日通っていても、あの通りを通ろうという習慣がないから、そのうちいずれ、と思ってはや数カ月という状態。
購買行動って基本的には習慣的行動だから、一度客離れして途絶えると、即致命傷なんだよね。
でも店賃を払わずに済むなら、年とって疲れやすいか、よっぽどのバカボンじゃない限りたいていの商売は致命傷を負っても死なない。かくして死んだ商店街が今日も生き続けるわけだ。


俺も店賃払わずに済むんだったら、京風おかゆのバイキングの店とか出してみたいよ。すぐにお腹いっぱいになる罠。前代未聞、500円で食べ放題の店ができるんじゃないかと思うんだけど。