たちあがれ日本

たちあがれ日本
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たちあがれ日本(立ち枯れ)は、自民党離党者を中心として2010年に設立された政党で、設立時の代表は与謝野馨。正式名称は新党立ち上がれ日本。キャッチフレーズは「棺桶から片足飛び出す保守政治」。



概要 [編集]



自民党を離脱した与謝野馨平沼赳夫が、与謝野のタニマチであった電話を中心に活動する先物業者・オリエント貿易献金を得て2010年に新党立ち上がれ日本を旗揚げする。



参議院選前から、数億円の献金与謝野馨の急死、宣伝カーの購入、著名人の擁立などが話題になっていたが、参議院選を含む最初の選挙については予定されていた鳩山邦夫との連携が鳩山との確執により途中で取りやめになり、小泉龍司城内実も路線対立により不参加、さらには官房副長官だった鴻池祥肇までもが不参加となるなど成功とは言い難いものだった。
参議院戦後の運営については、旗揚げ当初から得票数に苦戦し、見込んでいたネトウヨ票を得ることができなかった。このためギャラ未払いが生じ、 2010年9月に園田博之が、2010年10月に藤井孝男が離党した。



2010年末以降、所属議員であった中川義雄が他党と統一会派を組むようになり、平沼自身も自民党を主戦場にハッスルなどにも参戦するようになった。中川義雄の他党との統一会派結成については、所属議員に対して経営不振によるギャラの40%カットと引き換えに党議拘束の解除を行ったためとされている。



2010年11月に党首は石原慎太郎へと変更し、選挙以外での政治活動での再建を図るも頓挫。


たちあがれ日本においても不定期に国会で質問を行っていたが、2010年12月12日に所属議員が立ち上がれ日本から分離して設立された『俺のもの世界(石原慎太郎代表)』へ移籍。平沼自身は立ち枯れに残留するも、 立ち枯れとしての活動は停止された。活動停止に至った詳細は、金銭面の問題やその他理由は多々挙げられるも不明である。2010年12月31日以降、立ち枯れは政党としてほとんど活動していない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/WJ%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9

改変してて、あまりにもリアルすぎて、まったく面白みがないことに驚いた。