講座「書物」01−禁書と焚書と表現の自由−が刺激的だった件

会場の馬場町会館は1000円の参加費にもかかわらず20人ほどの満員。

かつて図書館に対する市民からの「悪書」廃棄要求と闘った佐久間美紀子さん(図書館を良くする会)を講師に招き、 現在進行している「非実在青少年規制問題」や、GHQの要請によって戦前書籍が大量に焚書された問題など、読書の自由を押さえ込むさまざまな「禁書」につ いて考えます。

講座『書物』 01 禁書と焚書と表現の自由 ―読者の現在 - コニタス

佐久間さんの講演のあと、ディスカッションのテーマは非実在青少年規制問題を中心にあちこち刺激的に飛び回った。
その中で俺もコメントを促されたんだけど、俺は元・古本屋で、現・「ネットワーカー」で、どの立場からなにをどう言えばいいのか、迷ってしまった。しかもアドリブが効かないからなー。アホの知恵は後から出る然に今ならこう言うだろう、ってなことを。


佐久間さんの話の中で、大仁町の小さな共産党細胞の戦後の記録が残ってる、それは共産主義が脅威だったから積極的に情報収集した名残だ、一方で例えば今の菊青同のような右翼活動の記録は図書館では後世に残らない、なにより書物としての記録がないから、という指摘があった。
この、書物として形に残さなければ体系だった記録として残りにくい、という指摘はまさにその通りで、記録に残らなければこの世の中に存在しなかったことになってしまう。
貴重な文化も失われてしまう。


俺が大好きな文化を、この視点から守ってくれた人がいる。
小沢昭一の小沢昭一的こころ」で知られる小沢昭一である。
いま記録に残さなければなくなってしまう、その一心から録音を撮り続けて残したのが「日本の放浪芸」シリーズ。

祝う芸=尾張万歳、三河万歳、会津万歳、秋田万歳、越前万歳、はこまわし探訪(徳島)、大黒舞(徳島・宮 城等)、門付芸採訪(徳島)、春駒(新潟) 等
説く芸と話す芸=絵解きの系譜(絵解、紙芝居)・舌耕芸(辻咄、修羅場講釈 等)
語る芸=盲人の芸(ごぜ探訪〈新潟〉、おく浄瑠璃〈岩手〉、早物語〈山形〉、 いたこ探訪〈青森〉、肥後琵琶〈熊本〉)、
浪花節の源流(浪花節〈大阪〉、浮かれ節〈京都〉、五色軍談〈新潟〉、デロレン祭文〈山形〉、江州音頭〈滋賀〉、阿呆陀羅経〈大阪、愛知〉等)
商う芸=香具師の芸(東寺境内風景〈京都〉、見世物小屋呼込み〈岐阜・静 岡〉、洋服たたき売り〈大阪〉、天王寺境内風景〈大阪〉、縁日風景〈東京〉、競馬・競輪予想屋、演歌探訪〈東京〉*桜井敏雄(歌とVn)/スカラソング、 おどろきの世界、廓日記、金色夜叉
流す芸=漂泊の芸能(音曲流し〈徳島〉、声色屋〈東京〉、立琴流し〈福岡〉、 角兵衛獅子〈新潟〉、飴屋探訪〈茨城〉、飴売り唄〈大阪〉、金多豆蔵人形芝居〈青森〉、猿まわし〈大阪〉、猿まわし探訪〈山口〉、三曲万歳〈愛知〉、虚無 僧〈京都〉等)

http://homepage1.nifty.com/zeami/j-ta/01.html

日本の放浪芸
日本の放浪芸小沢昭一

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生き生きした啖呵売がよみがえる。
この中に「洋服の叩き売り」という芸が収録されてるんだけど、「本の叩き売り」というのもあったそうだ。小説を一人芝居で演じながら読んで、盛り上がったところで「続きは本を買ってのお楽しみ」って売ったんだって。
記録ではたどれないけど。
図書館に残る「記録」ではたどれないけど、「本の叩き売り」の存在は鈴々舎馬風の落語のテープという形でうかがい知ることができる。これは「夜店風景」という噺をふくらませた噺だそうだ。


限られた人だけが文化活動をしていた時代と違って、現代のように誰でもが大量の文化活動を行う時代では、図書館の使命がすべての記録を残すことだった時代は終わっていて、これからは勝手に残ってる記録に効率的にアプローチをする手段を提供することが求められてるんじゃないだろうか?


佐久間さんの話の最後に、電子書籍と紙書籍の関係は文庫本と単行本の関係に似てるという指摘があった。つまり、コンテンツだけが必要か快適さと所有が必要かの違い。
事実、文庫本が出たあとにも単行本は売れている。
だとするならば、図書館はどちらを収集するべきなのかを明らかにする必要に迫られていると言える。同じ本を単行本で揃えるか文庫本で揃えるか、今までのその判断以上に、電子書籍で揃えるか紙媒体で揃えるかの判断が重要になってくるんだろう。


つーか、著作権の管理された「電子書籍」で本を収集する場合、日本に1箇所図書館があればそこからダウンロードして閲覧する施設があればいいわけで、地方図書館の存在意義ってないんじゃねーの?