日本人はノーベル平和賞を理由に中国を批判出来ない


劉暁波という人の存在を昨日まで全く知らなかったし、ノーベル平和賞に値する功績を挙げた人なのかどうかはいまだに分からない。中国において、人権を守る活動をしてきた人なのだそうだ。


ところが世の中にはクソのような人間の権利なんか認めないという衆が大勢いて、それを統治の手段にしている国も少なくない。中国なんかがその典型だろう。

ノーベル平和賞が国際世論を象徴するものとして中国にとっての圧力になっている、中国は変わるべきだ、あるいは中国なんか潰れろ、なんて言ってる有象もぞうがネットに湧いて出てる。


2009年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画を覚えているだろうか?イルカ漁を批判した「ザ・コーヴ」である。

世の中にはイルカの権利なんか認めないという衆が大勢いて、日本人なんかがその典型だ。

権威ある賞や欧米の世論を基準にするならば、日本政府は今すぐにでも捕鯨やイルカ漁を禁じるべきだろう。


人権とイルカ権、なにが違うのだろう?なぜ人権だけが尊重されなければならないのだろう?

その答えを明確に出せない限り、そもそも日本人には同じ「国際世論」とやらの批判を浴びている中国政府を批判する資格なんかない。


日本と中国の違いは人権とイルカ権の違い、権利の価値基準の違いに過ぎない。

(しいて言えばもうひとつ、ムラ文化による排除で自主規制的に「ザ・コーヴ」がほとんど上映されなかった日本と、国民にまとまりがないから政府が強制的に報道を排除した中国という違いもあるかもしれない)

中国政府が人権を尊重しないのと同じ論理で日本人はイルカ権を尊重しない。いくら批判されようが日本人がイルカ漁をやめないように、中国政府も人権侵害をやめない。

その中国政府の立場を一番理解できるのは同じ論理で動いている日本人なのに、なぜ欧米人と一緒になって同じ理由で中国政府を責めるのだろう?


日本人には日本人なりの、欧米の論理とは違った中国に対する接し方がある。

そのために必要なのは数や軍備といった力だけで善悪を決める欧米追随文化からの脱却である。


とはいえ日本も現実には欧米の論理で運営されている国際社会の中で生きていかなければならないわけで、理想と現実の狭間で一見場当たり的に見えても、その時々ではやむを得ない対応の一つ一つを俺は批判する気にはならないけどね。