クソ理論02

このクソな国を覆う閉塞感が生じる理由の一つに経済の先行き不安というものがある。しかしその正体はクソな支配者層による国民分断の手段にすぎない。
不安とは洗脳の切り込み隊長である。


そもそもこの国は経済的にはまったく行き詰っていない。しかし行き詰まっているかのように捉えられているのは、「国の借金」が924兆円という「気が遠くなる数字」だかららしい。

まず924兆円とは本当に気が遠くなる数字なのかを考え直す必要がある。
ではこれがいくらだったら気が遠くならないのだろう?924円だったら気が近くにいるのだろうか?
ならばそうすればいい。簡単なことで、今の1兆円を明日からは1円と呼びます、と国で言えばいい。これをデノミネーションという。実際、2009年にジンバブエが1兆分の1のデノミを実施している。


デノミになんの意味があるのか、といえば、ぶっちゃけ単位が小さくなってすっきりした、というだけの話に過ぎないわけで、理論上は。
実際のところは新紙幣に切り替えることによって地下マネーを露顕させたり、紙幣交換に制限をつけて金持ちから没収したりするんだけど、本質的な経済政策としてはあまり意味がない。


逆に大きな意味がありすぎる解決策としてインフレターゲットという方法がある。つまり、国がお金をじゃんじゃん刷ってしまって、配るなりなんなりして使ってしまう。するとじゃんじゃん刷った分、お金の価値がなくなって、その分の国の借金の重さも少なくなるわけ。


ちなみに日本中にお金がいくらあるかというと、現金が80兆円(通貨流通高)、預貯金をあわせて1100兆円(通貨供給量)つーんだけどね。
だから単純に言えば1000兆円紙幣を1枚印刷するだけで「国の借金」はチャラになる。でもお金の量が2倍になったらありがたみは2分の1になるわけで。だから物の値段も2倍になる。貯金があったら半分のものしか買えなくなる。


ぶっちゃけ俺は、そうすりゃいいじゃん、と思うんだ。
物の値段が倍になるということは、当然手間賃も倍になるし、収入も倍になるということだもん。単純に言えば。
困るのはゼニ持ってるクソな衆だけ。
ところがこの国ってのはゼニ持ってるクソな衆だけが動かしてるからタチが悪い。だから絶対に自分たちが損をするインフレ政策に持ってこない。


じゃあ、クソな金持ちだけから取り上げるのは出来ないしフェアでもないし、「国の借金」を返すには増税して金持ちも貧乏人も平等に負担するしかないのか?っつーとそれはぜんぜん違うぞ。


平等とは何か、という話は別の機会にするとして、まず考えなきゃいけないのは「国の借金」とはなにか、ということと、借金は返さなきゃいけないのか、ということだ。

 財務省は10日、国債と借入金、政府短期証券を合わせた「国の借金」が平成22年度末時点で924兆3596億円となり、

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110511/plc11051108010012-n1.htm

一方で中川秀直はこう言う。

国の資産700兆円は売れないのではなく、売りたくないのだ。そして、それを既成事実化して、まずます消費税増税キャンペーンに拍車がかかるのだ。

不用資産は売却しない?:国の資産700兆円は売れないのではなく、売りたくないのだ | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

国とは何か、というところをはっきりさせてから、この話はするべきだったなー。
だからここでは借金が900兆円あって、資産が700兆円あることを指摘することにとどめておく。だとすれば本当の不足分は200兆円ということになる。
900兆円だから多いというならば、200兆円なら大満足じゃないか。違うの?


この論の問題点として、資産の700兆円というのは机上の空論だというのがある。俺も古本商売やってたからよく分かるよ。古本屋で1万円の値札の貼ってある本、ブックオフに持って行ったら値段がつかない、その古本屋でも何十年も売れない。でもそんな本を数千冊も並べておいたら週に1冊ずつくらい1万円で売れていくんだよね。
それをいくらの資産というべきだろうか。ここが資本主義を支える会計制度の要点だ。
これも改めて指摘したい。


さて、実際のところ国とやらの借金の総額は200兆円ほどらしいのだが、これは問題なのだろうか?それを考える前に、そもそも国の借金とやらを返さなければどうなるのだろうか?
それは次回に。