青少年育成条例改正? ふーん、いいんじゃない?

俺の立場は以前にも書いた通り

俺は原則的に表現規制反対、でもこの条例案には例外的に総論賛成、だけど各論には問題点が多く反対、という立場。

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でもなー、反対派オタクが上から目線で語る我田引水の感情的で強引な言説は心から苦々しく思ってる。

 全ての国民が、国や権力によりその意思、表現、主張、思想を、検閲され規制され、それによる差別や不利益を被ってはならない、というものなのです。

非実在青少年関係 「青少年育成条例改正? ふーん、いいんじゃない?」 と言う人へ:ヘボログ:So-netブログ

これは日本国憲法19条が保障する思想・良心の自由と、21条が保障する表現の自由をごっちゃにしてる。
思想良心の自由も表現の自由も、ともに人権だ。ともに人権のうち精神的自由に属する権利だけど、この2つには微妙な違いがある。


自由権というものを一番最初に提唱したJ・S・ミルは危害原理、つまり自由の行使が他人に害を与える場合はその自由を制限出来ると言ったし、その延長で今の日本の通説では「公共の福祉」が人権を制約する根拠になるとされている。


つまり思想良心の自由は内心の自由として、内心の問題である限りは他人に危害を加えることがないため、その自由が絶対無制約のものとして認められる。
小児偏愛の性癖を持って「まいんたんとやりたい」とか悶々としてても憲法的にはまったくなんの問題もないの。


しかし一方で表現の自由には限界がある。外部に出す性質により、他者の人権と衝突する可能性があり、「公共の福祉」に基づいてその調整を行う必要が生じるからだ。
ここの部分に関して

「だからって、児童ポルノを作って良いなんてことはないだろう」
 
 当然です。
 ただし確認ですが、ここで言う「児童ポルノ」とは、当然のことですが、実在児童が強制的或いは半強制的な関係性において、その人権を侵害されるように強 要されるポルノそのものを指します。
 ぶちまけて言えば、「親や近親者等の第三者が、子どもの性を切り売りしたり、搾取したりする行為など」を、表現の自由などとは言いません。
 それは、ただの犯罪です。

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ここで表現の自由には制約があることをきちんと分かってるはずなのに、話は「準児童ポルノ」というおかしな方向に行ってしまう。

 「児童ポルノ」の問題と、創作表現上の 「18歳未満と判断できる登場人物の性的な行為の表現」 は、根本が全く違う。
 言うまでもなく、前者は確実に助けなければならない被害者が居て、後者にはソレが居ないと言うことと。
 前者は表現ではなく、後者は表現だと言うこと。
 この二つが、根本的に違う。

非実在青少年関係 「青少年育成条例改正? ふーん、いいんじゃない?」 と言う人へ:ヘボログ:So-netブログ

そう、根本から違うから別の法を定めようとしてるの。
準児童ポルノ」のおかしさを指摘するおかしさについては以前に書いたのでそちらを見てもらうにして。

法規 制が実現しようとするもののことを法益と いうんだけど、児 童ポルノ法の法益は「児童をポ ルノ被害から守ること」であるのに対して、今回の青 少年保護育成条例案法益は「青 少年の健全な育成」であり、この二つはまった く別のものだ。
ところが彼らは青 少年保護育成条例案法益が「児童をポ ルノ被害から守ること」であると思っているから「非 実在青少年」表現の規制が 「「非 実在青少年」をポルノ被害から守ること」 になると勘違いをして笑ってるわけ だ。

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つまり

 今回の改正案は、その全く違う二つの事柄を、まるで同一のことであるかに詐術でミスリードして、誤魔化そうとしているのです。

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ズバリ言って、それはあなたのことです。詐術でミスリードして誤魔化そうとしているといえば、あなたのその後のこの文章こそ、まさにすり替え詐術で誤魔化す典型。

「こんなに幼い(様に見える)子どもが、犯される漫画が存在するんです、許せない!」
 

 そうです。存在します、許せないと思ったとします。
 それが 「醜悪だ、許せない、不道徳だ!」
 と、声を上げることが出来るのは、何故か?
 「表現の自由があるから」です。
 表現の自由がなければ、不道徳で不健全な物を、不道徳で不健全だと指摘したり、糾弾したり、批判することも出来ない。
これは間違っている! 
 そう自由に発言できること。
 それが、「表現の自由」です。
 

 自分が批判したいときには「表現の自由」を行使するのに、その批判対象に関わる人に対しては、「表現の自由」を認めない。
 

 それは、決してあってはならない事ですし、自分が今立っている土台そのものを壊そうという行為です。
 日本人として、自らが得ているはずの、「表現の自由」という権利を、自ら投げ捨てるようなものなのです。

非実在青少年関係 「青少年育成条例改正? ふーん、いいんじゃない?」 と言う人へ:ヘボログ:So-netブログ

ここで行われているのは、2つの意味で使われている「表現の自由」のすり替え。
「制約を受けるべきかどうか検討の余地がある表現」の自由と、「制約される余地のない単なる論理を表現する」自由との混同がごっちゃになってる。
つまり、小児性愛表現の自由と、その議論の自由との混同が「表現の自由」という省略形のもとに行われている。


あとはまぁいろいろ言いたいことはあるけど、長文に長文で向かうと収拾がつかなくなるから以下略にして、一番肝心なこと。
それはこの条例問題は、表現の自由を制約する公共の福祉とはなにかが明らかではないから起きているのに、その正体を誰も探ろうとしていないこと。だから俺はその公共の福祉を

無秩序にオタクが幼女を 性の対象にしてチンコをしごくことにより、実在の女性を性の対象として見て結婚し て家を持ち社会を構成していく健全な青少年が減少し、伝統的な日本社会が 崩壊しつつある。さらに2次元の世界に こもり、3次元での消費活動を行わないから日 本を支える資本主義経済が 危うくなってきている。

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と見出したわけ。だから各論としてこの条例に反対してる。

なのに件のブログの著者は、犯罪にあたるなら表現の自由は制約されるべし、と表現の自由が公共の福祉により制約されることを認めておきながら、その公共の福祉の基準に触れることなく表現の自由はすべてに優先する、というかのような自己矛盾に陥ってる。


表現の自由は絶対です、というのなら、そもそも児童ポルノ法にこそ反対すべきだ。
表現の自由内心の自由と違って絶対の自由ではない。その表現の自由の絶対性をことさら主張するのは決して得策ではない。むしろ表現の自由を守るために、他者の人権と衝突しないような配慮をするべきだったんだ。
とはいえ、産業と化してしまったオタク文化に銭儲け(=他者の人権との衝突を許容する合理的な理由)をするな、と求めるのは不可能だけどな。


まあ、俺は調子に乗ったオタクを見るとムカツクから、単純に俺の幸福追求権を根拠にオタクの存在そのものを規制して欲しいと思ってるけどね。