与えられた希望は叩きつぶせ

辺野古移転案が批判されるべき内容なのであるならば、一番批判されるべきは辺野古移転案を15年かけて実現しようとしてきた自民党なんじゃねーの?
結果が評価される世界において、約束を実現出来なかったことは批判に値する。
ただし、辺野古に決めたことで鳩山由紀夫を恨むのは逆恨みってもんだろ。

鳩山由紀夫の最大の失態は沖縄の人に、あるいは政権交代を望んだ俺たちに「希望」を与えたことなんだろう。下手に時間稼ぎのために「希望」なんか与えたから、最初から持ってないものをあたかも既に持ってるかのような妄想に取りつかれて、その妄想が冷めて、持ち物を失ったかのように大騒ぎしてやがる。
しょせん、希望は与えてもらうものだと思ってる衆なんてそんなものだ。

与えられた「希望」は希望じゃない。それは支配の手段に過ぎない。
希望とは泥まみれで這いつくばった死中に見出すものだ。

辺野古で反対運動を続けてきた人たちは、辺野古の浜や海中での反対活動で、時には自民党政権下の海上保安庁職員に潜水具に妨害をされたりして、文字通り命がけで砂まみれになってきた人たちだ。

カヌーがしがみついている船の船長に、保安庁が「走り出せばカヌーははがれるから動きなさい」と指示する。人やカヌーがしがみついている船が走りまわる。 海底では、資材にしがみついている仲間のダイバーが蹴られたり、タンクをはずされたりする。


海中での調査を止めるため、市民ダイバー達は海底に徹底非暴力を貫きしがみついてきました。そのため彼ら、彼女らは殴る蹴るの暴行に晒されています。更に ダイバー達はサンゴに鉄槌で杭を打ち込もうとするその鋭利な先端に自らの手のひらを指しだし、ギリギリのところで止めてきたのです。

また、強大なエンジンを持つ海上保安庁が激しく船をぶつけてくるため、船上の仲間は彼らが激突させようとしているまさにその場所に、手を被せて自分たちの船 を守り続けました。

その一方、施設局は予想通りネガティブキャンペーンを始めました。曰わく非暴力で海底に座り込んでいるダイバー達がレギュレーターをはずしたとのことです。マスコミもそう主張されれば記事にせざるを得ないのでしょう。実際には、わたし達カヌー隊は、ダイバーの頭上にゴム ボートを走らせる保安庁から仲間を守るため、海面上を何とか確保しな がらシュノーケリングを行い、海底で繰り広げられる施設局のダイバーによる一方的な暴行をつぶさに見、その暴行を止めることができない自分たちが悔しく、 悲しく、なにより仲間の命が心配でたまりませんでした。

「辺野古の反対派が殺人未遂」とのネガティブ・キャンペーン始まる: 低気温のエクスタシー(故宮)

だから鳩山由紀夫の「最低でも県外」発言はまさに死中に見出した希望に見えたことだっただろう。この点で鳩山由紀夫結果責任は本当に重い。
せいぜい投票くらいしかしてないくせにアッケラポカーンとバカ面ぶら下げて、国民の声を聞かなかったからだとか退陣を喜んでる衆とは違う。

俺は最初から民主党鳩山首相に希望なんか持ってなかった。希望抜きに期待する分にはいい仕事してたと思うけどね。特に自民党という不滅と思われた社会構造がぶっ壊れかけてきてるところとか。


麻生太郎鳩山由紀夫と2代続けてゼニ持ちの総理大臣だったわけだが、「どうだ、俺様はゼニ持ちで当然のごとく支配者だ、すごいだろう」という首相から「ゼニ持っててすいません、その代わりNOと言えずにあれもこれも安請け合い」という首相への変化があって、どっちがマシかっつーと、正直なところ気分的には鳩山の方がマシだったな。