買わなきゃ良かった、iPad 経緯編

iPadを買ったわけだよ、この俺様がだ。
この俺様とはどの俺様かといえば、この20年、アップルを毛嫌いし続けてきた俺様だよ。


俺が最初にパソコンに触れた時、周りにはアップルユーザーしかいなかった。この頃から、ちょっとおかしいなー、こいつら、と薄々感じてた。
つーか、その前からコンピューターとは縁があって育った。親父は仕事で紙のカードを記録媒体にしたコンピュータを使ってたし、中学の同級生には PC-8001とかPC-6001とかマイコンを持ってた奴がいて、土曜日の午後になると函館の長崎屋にあったマイコン屋で遊んでた。
俺は結局マイコンは買ってもらえなかったけど、ベーマガをみながらbasicのプログラムを作ったりしてた。


その俺がマックユーザーと接して、一言でいえば「うぜえ」と思ったんだ。やたら買え買え言うから。
その俺が最初に選んだパソコンは東芝のリブレット50だった。当時から外でパソコンを使いたい、というモビール指向だったんだ。断じてモバイルではない。
広いネットの世界に飛び出して、自分の周りのマックばっかりの環境がいかに異常だったか、そして自分の感覚がいかにまともだったか、ようやく確信が持てた。


当時絶滅寸前だったマッキントッシュパソコンにこだわり続ける信者たちは、やたら攻撃的だった。つーより、自分の正さを主張したいがために彼らは偏屈で頑固で高慢だった。他人に理解されようとはこれっぽっちも思ってなかったし、だから言っても意味のない正論をいつまでも吐き続けた。
その名残は今でもYahoo知恵袋のような教えてサイトで見ることができる。
あそこでなにか質問をして、真っ先にドヤ顔で「調べれば分かります」「まずマニュアルを読んで下さい」などと書いてる奴の90パーセント 以上がマックユーザーだと言われている、俺に。


その俺が、だ。iPadを買ったのは、やはりこのデバイスの将来性に魅力を感じたからだ。決して信者とマスコミに煽られたわけじゃないのは20年以上に渡るアンチマック暦が証明している。
具体的に言うと、これをコンピュータだと思うからいけない。エアコンかホームセキュリティのコントロールパネルかなにかだと思えばいい。あるいはカッパ寿司の注文ボタン。あんな感覚で、情報をROMするたけの、あるいは限られた発信を行うためのデバイスだ。
決してモバイルで使うものではない。家庭の真ん中にあって、限られたボタンを省スペースで押すための装置だ。


もちろん、そのボタンの一つには「ホームページを見る」というボタンもあるだろう。しかしそのボタンの隣には「youtube」ボタンではなく炊飯器のスイッチがあっても不思議じゃない。
そんな時代を先取りして、各家庭に設置されたipad類似機器のポータルを作るべくipadを買ったわけだよ。