その昔、地方で一人でドラゴンズファンをやっていた件

本当に2008年、いい時代になったと思うよ。

俺がドラゴンズファンになったのはいつのことだろうか?そもそも野球というスポーツを知ったのは物心が付く前だと断言できる。なぜなら俺の一番古い記憶はテレビで高校野球を見てる記憶だからだ。これがいつの記憶かは不明だけど、三陸に引っ越す前の記憶だから4-5歳の頃と思われる。
中日に関する一番古い記憶をたどると、1980年の中利夫監督辞任を悔しがった記憶がある。当時10歳だ。

いずれにせよ物心付いた時には中日ファンだった。理由は不明。多分名古屋生まれというあたりが微妙に絡んでるんだろう。
しかしおかげさまで岩手・東京・函館と父の転勤に伴って周りに中日ファンが一人もおらず、孤立した中日ファンとして育つことになる。
(↓川又のテーマ曲を流用したチャンステーマ、いわゆる「川又チャンス」から得点後の「燃えよドラゴンズ」)


だから逆にナゴヤドーム中日ファンが青いフナ虫のようにうじゃうじゃ湧いてるのが気持ち悪いくらいだったりする。
その辺が応援グッズでピンクを好んだり、ナゴヤドームとほぼ同じ距離にある横浜スタジアムや東京ドームに通った理由だったりもするんだけど。

地方で孤立してた中日ファンの困ることがいくつかあった。
当時はインターネットなんかなかったからテレビとラジオが情報源、北海道から東海ラジオガッツナイターを聞いてたんだから我ながらバカだよなー。雑音がメインで、たまに実況が聞こえるような感じ。
もちろんナゴヤ球場に当時行ったことがないから、どんなところでどんな人たちがどんな応援をしてるのか、テレビに映る範囲でしか知らない、応援歌の歌詞なんて知る術もない。

ところが今じゃどうだ?CSで全試合見れるし、ネットには仲間が文字のフナ虫のように湧いてるし、応援歌の歌詞はググれば一発だし。そして観客席目線でのグランド風景はyoutubeにアップされてる。
これ以上になにを望む?って全然足りないよね。
(↓ウッズ応援テーマ、「持って来い持って来い」付き)