じゃんけんほったらけっつ馬のくそと竹に短冊七夕祭り
確かに子供の頃、「じゃんけんほったらけっつ馬のくそ」という掛け声でじゃんけんをしてた。函館育ち。
アイコの時は決着付くまで「馬のくそ」連呼。
で「じゃんけんほったらけっつ」を検索してこんなにヒットしたのにはびびったけど。
でも一方で「"えーよ"で決めるべ」つって「えーよっえっ」ってじゃんけんをしてた記憶もある。ところが”えーよ”とか”ええよ”とかで検索しても全然ヒットしないんだよなー。
これが日本のインターネットの限界。なにが集合知だ。誰も言わなければ、あったことがなかったことになる。ネットに何でもあるわけじゃない。逆にネットにあることが真実ってわけでもない。
だから積極的にアリバイ証明のように、ネットに書く義務があると思う。
ところで、「馬のくそ」と「えーよ」をどう使い分けてたのか、まったく記憶にない。どういう掛け声をかけるか、事前に打ち合わせた記憶もない。場の空気で決まってたんだろうか?何の疑問もなく、息が合ってたのか?
似たような事例で「竹に短冊七夕祭り」ってのがある。
函館には七夕の晩にこどもがちょうちんぶら下げて集団で家を襲撃して菓子を奪って歩く、和製ハロウィンのような風習がある。
「竹に短冊七夕祭り」と囃すんだけど、そのあとに「オオイヤイヤヨ」という謎の文言が続く。で、「ロウソク一本ちょうだいな」と。
この七夕の風習をネットで数年前に検索したら、ことごとくこの「オオイヤイヤヨ」が「大いに祝おう」と変換されて紹介されてた。
そもそも七夕って祝うもんじゃねーんじゃねーの?とも思うけど、「オオイヤイヤヨ」よりは意味が通じる。でも「大いに祝おう」とは明らかに違う「オオイヤイヤヨ」は実在したし、万が一にでも重大な文化的な価値が存在しないとも限らない。
ふと思って今日検索してみたら「覆いはいやよ」「多いはいやよ」説をネットに見ることが出来た。ネット人口が増えた賜物だろう。
でも「大いに祝おう」勢力に比べれば微々たるもの。なにで見かけたのか忘れたけど「追い(かけられるの)はいやよ」説もあったはずだし、俺のニュアンスとしては「”おお、嫌”は嫌よ」説を唱えたい。
こういうことを積極的に書いていかないと歴史がネットによってどんどん変えられちゃうような気がして、おおイヤイヤよになっちゃう。