年越し派遣村をカムイ伝にしてはならない

派遣村を叩いてるのは多分貧乏な下流の連中だよ
http://anond.hatelabo.jp/20090112165017

を読んで、あるマンガの最終回を思い出した。

カムイ伝 (15) (小学館文庫)

カムイ伝 (15) (小学館文庫)

カムイ伝
子供の頃にテレビアニメで再放送を見たときには、サスケ・カムイ・赤影あたりの区別がつかなった。
それが30過ぎて、ある程度の分別がつくようになってやっと、カムイ伝の持つ意味が分かるようになった。


主人公は非人のカムイ。子供の頃に差別される身分から抜け出すために忍者の道に進む。
今日はこのカムイの話はどうでもいい。というのも、話が進むにつれて忍者のカムイは神出鬼没、要所要所には現れても前面には出てこない。


カムイ伝の表のストーリーの主人公は正助という下人。今日のところは農民の一番下の身分と思って欲しい。
この正助は下人でありながら賢く、村の救世主ともいうべき存在。その知恵と行動力で村を救い続ける。しかしそれにも限度があり、最後に一揆の首謀者として自首。
ここで悲劇のカリスマとなるはずだった。しかし、他の自首したメンバーが虐殺される中、一人だけ舌を抜かれて農民の前で釈放される。
「なぜお前だけが生き残っただ!?」
逆上した農民に袋叩きにされ、以後の消息は知られない。
ここで実質的なストーリーは終わる。


俺はこう書いたことがある。

大方、大村秀章厚生労働副大臣が後先考えないでしたことなんだろうけど。
大村が講堂を開放したのは本当に大村がバカだからなのか?なにかの伏線になってるのか?

年越し派遣村はピクニックである

どうも、自民党派遣村優遇には、俺が思ったのと逆の理由があったようだ。
最近のネットでの派遣村叩きを見ていてそう思う。


「私も苦しいのに、なぜこいつらだけ?」
その心理をものの見事に逆手に取りやがった。
厚生省講堂開放は罠だったのだ。貧民の嫉妬心に火をつけるための。
日本の支配者階層は、そうやって団結すべき者同士に猜疑心を植え付けて、希望の芽を摘み取り続けたのだ。
これは伝統的な手法なんだ。

完全失業者は250万人もいるのに、なぜ日比谷公園に集まった500人だけを特別扱いするのか
「派遣村」の偽善 - 池田信夫 blog

に対して俺はブックマークコメントで

行動したから
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/caa6353a3bf77b62c7782d6bd09446a2

とだけコメントしたところ、35もスターがついた。
まさにそうなんだよ。


苦しかったら苦しいと言う。
辛かったら辛いと言う。
寂しかったら寂しいと言う。
寒かったら寒いと言う。
欲しかったら欲しいと言う。
好きだったら好きと言う。
そこから幸せは始まるんじゃないの?
我慢してても何も始まらないんじゃないの?


自己責任論?
労働経済論?
社会保障論?

むずかしい言葉は自分を守ったかい?
振りまわす刃は自分を守ったかい?
http://jp.youtube.com/watch?v=IiOEzX9WbhQ:MOVIE
望みはすばしこく何処へでも毒をまく
やがて自分の飲む水とも知らないで


風にならないか - 中島みゆき


ねえ、風にならないか?