ミルク〜アイデンティティとしてのカテゴライズの問題

静岡シネギャラリー右側で19:10の回。客入りは11人。


ハーヴィー・ミルクという実在のゲイ公民権運動を始めた人の再現モノ、ということで実写記録映像もおりまぜての作品。
ショーン・ペンがアカデミー主演男優賞を取っただけのことはあって、記録映像よりショーン・ペンの周りの世界の方が本物に見てるようなリアリティがあった。



つーかショーン・ペンとその周りだけが本物に見えて、ゲイが迫害されてたあたりの描写も説得力がなくて、男をとっかえひっかえ人生を謳歌するポジティブゲイ賛歌のような印象だけが残った。
「レント」みたいな感じで。

ゲイを扱ってアカデミー賞つーと最近だと「ブロークバック・マウンテン」なんてのもあったけど、これはラブシーンというラブシーンもなかった。
「レント」だとラブシーンも多かったけど、エンジェルが中性的な雰囲気だった。
で、「ミルク」、文字通り男同士のラブシーン。まあ、これが現実だよな、多分。腐女子にはお勧めしません。男同士のなにがいいのかは分からんけど、好きなら好きで勝手にしてください、って感じ。
俺も、端からいわせると女性の好みが普通じゃないらしいから、多分似たような構造なんだろう。

この映画の内容を社会論として見ると、弱者として社会からなにかを勝ち取るには、自分が何者であるかということを肯定的に自覚する必要がある、ってことが浮き彫りになってるのが興味深い。
ネガティブゲイは死に追いやられざるをえないわけで、なんでわざわざリスクを背負って「カミングアウト」したがるのか、その謎に納得がいった。

逆に、自分が何者か分からない、分かっても否定的に受け止めてしまう、そういう連中だけが取り残されて不幸をかこってるのが現代社会だ、と。なんか日本だとそれが大多数のような気もするんだけど。


その自分が何者かという、アイデンティティにふさわしいカテゴライズの答えとして向かっているのが、特にネット上で顕著に見られる伝統(っぽいものへの)回帰、あるいは日本国籍への異常な執着、そういった表面上の国粋主義なんじゃないのかと思ったり。