民主党とええじゃないか

お盆休みに紀伊半島を旅行してみようかと思ってたんだけど、泊まるところがねえ。
俺がどっかに行こうと思い立つのはいつも直前、やれ予約だとかクソだとかを必要としないぶらり旅、お泊りはたいていサウナか健康ランド。しかし紀伊半島にはサウナも健康ランドもありゃしねえ。
場所が場所だから宿は安いんだけど、なにせ時期が時期だから空いてねえ。どうしたもんかねえ。


そもそもなぜ紀伊半島に行こうと思ったかというと、民主党が選挙で勝ちそうだから。
つまり、今度の総選挙で起きようとしていることは、まさに平成のええじゃないかじゃないかじゃないか、と。じゃないかが1個多いか?
幕末に民衆がええじゃないかと狂乱して伊勢神宮に向かったのと同様に、有権者がええじゃないかと狂乱して民主党に投票しようとしてるんじゃないか?
だとすると、ええじゃないかについて知っておく必要がある、と考えたわけ。


ええじゃないかについて俺が知ってること。
お札が降ってきて、ええじゃないかと騒ぎながら伊勢神宮に向かった集団がいて、みんなそれにハーメルンの笛吹きのようについていった、と。
だからええじゃないかは江戸から始まったものだと思ってた。
ところが違うんだな、これが。

ええじゃないかの発祥は諸説あるけど、岡崎にしろ豊橋にしろ豊川にしろ、三河の国からはじまったようだ。これが慶応3年の7月8月あたりのこと。
これが東に広がっていって、8月10日に浜松宿にお札が降り、資料は残ってないものの掛川あたりでも降ったのだろう、藤枝宿に降ったのが9月9日、駿府は9月26日、江尻が10月6日、由比のあたりは10月8日。
いずれも律儀にそれぞれの場所でお札が降ってる。降ってると書いたけど、雨の降るように降ってきたわけじゃなくて、置かれてたのを見つけた、というパターンが多いようで、「ふる」のではなく「くだる」と読む。


小さい村なんかだと1回降るだけなんだけど、大きい宿場町なんかはそうではなく、かなり計画的に民衆を煽るような意図が感じられる。
藤枝宿の場合だと、まず9月9日に東の町外れ(左車町、下伝馬町)に2枚降る。このお札をお参りするために10日11日にかけて藤枝中の人がやってくる。つまりお札が降った時点で、このお札はお参りをするべきものだと多くの人が知っていたことになる。
そして9月12日に山車が出て、お祭りを始める。
そしてこれで通り過ぎるのかと思えば、この12日に西に戻って金谷宿でお札が2枚降る。
いったん東に行って、西に戻ったんだから、真ん中にも降るだろう、と期待するのも無理はない。
お待たせしましたとばかりに13日14日にかけて、「森家公私日記」によると「御祓降藤枝一円之由也」という事態になる。


江尻から由比にかけての様子は「小池氏文書」に詳しい。
「小池氏文書」ではまず、浜松宿にお札が降って、そのお札に多くの人が参詣して、派手にお祭りをしているという噂がある、というようなことが書かれている。次に遠州商人が、降ったお札を粗末にした家は火事になったり、家が揺れたり不思議なことが起きる、焼津じゃ赤飯や酒サカナを振舞ってるらしいでっせ、みたいなことを言ってた、と書かれてる。


つまり、「お札が降ったらこうしたらいいですよ」という指示を事前に出して歩いてる人間がいるってことだ。ちなみにこの遠州商人は「遠州二ツ家村」出身と名乗ったそうだけど、そんな村は実在しなかったらしい。
触れて回る人がいて、今か今かと待ちうけ、ひどいところでは待ちきれずに札が降らないうちからお祭りを始めちゃうところまで出てくる始末。


そして一方では秋葉神社のお札で脅しをかける。駿河府中では薪の上に秋葉神社のお札があったこともあるという。
つーか、降ってるのは伊勢神宮の札じゃなくて、秋葉神社の札なんだ。
「ええじゃないかと近世社会」には愛知県の稲沢と刈谷の神社別集計が載ってる。ともに第1位は秋葉神社
ちなみに記録に残ってるだけで降った札は全部で刈谷は189枚、稲沢にいたっては659枚。この札をどこから調達したかというと、無人の祠に奉納されてるお札に印をつけたら、その印のついたお札が降ってきたという記録もある。
札は明らかに人為的に撒かれていて、そこで火の神様である秋葉神社の札を使うということは、祭りを起こさなかったら火をつけるぞ、という明確なメッセージでもある。


さらには駿府の中野新田村の与太夫さんの土蔵から25俵も米俵を盗んで降らせてみたり、ひどいのになると「酒井様御女中様」から50両盗んで、天神様の札と一緒に降らせたり。やってることは泥棒なんだけど、放火の脅しのかかった神事の中で神意に逆らって持ち主に返すわけにもいかず、祭りの費用に当てられた。
全国的にそういうことがあったのかは知らんが、少なくとも駿府ではそういうことがあったようで、犯罪的な要素があったことが伺われる。だからこそ殺伐と紙一重の熱狂が生まれたのだろう。


ええじゃないかでは男尊女卑の社会の中で老若男女が平等に参加して踊り狂い、多勢の民衆の前に無勢の武士は道を譲り、金持ちからは富の再分配が行われる。
ええじゃないかは、決して信心深くて浮かれたんじゃない。人間が札を降らせてることはみんなが知ってたんだ。ええじゃないかは、世直しを求める民衆に、何者かが大義と後ろ盾と指示を与え、デモクラシーの疑似体験をさせたんだ。


ところが、これが市民革命につながらない。
ちょっと飽きがきはじめたところを見計らってオカミが
祭りみてえになってっから!と一喝したら
http://www.youtube.com/watch?v=MRDciBdjiuM#t=02m02s
シュンと終わってしまう。


ええじゃないかは、旧来のオカミによる支配の枠組みから脱することが出来ずに収束してしまった。
なぜなら民衆は社会の枠組みを変えることなんか望んでなかったから。ちょっとした気晴らしや変化があればそれでいい。その民衆の体質は現代でも変わってない。

その目的は定かでない。囃子言葉と共に政治情勢が歌われたことから、世直しを訴える民衆運動であったと一般的には解釈されている。これに対し、討幕派が国内を混乱させるために引き起こした陽動作戦だったという説もある[1]。江戸のバブル期後の抑圧された世相の打ち壊しを避けるために幕府が仕掛けた「ガス抜き」であったという説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%81%88%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B

討幕派の陽動作戦だとしたら民衆の真意を見抜けずに作戦失敗だといえるし、幕府の「ガス抜き」であれば、民衆の真意を討幕派に気付かせ、エリート先鋭主義に走らせた点で裏目に出ている。かといって、これだけ計画的組織的な民衆運動を実行できるだけの勢力があっただろうか?


翻って現代。半月後に確実に発生する「民主党ええじゃないか」。
幕末のええじゃないかとの相違点、共通点はいかに?
少なくとも今は静岡県知事選挙や都議会議員選挙をはじめとする自民惨敗というお札が降った、その噂を聞きつけて自分のところでもお札が降るのを全国で待っている、そういう状態なんだろう。




参考文献
「ええじゃないか」と近世社会 伊藤 忠士/著
藤枝宿の「ええじゃないか」資料 「森家公私日記」  窪田 正志/著
街道沿いの村駿河国庵原郡寺尾村の「ええじゃないか」 窪田 正志/著