ディアドクター

サールナートホール1階で14:00の回。客入りは40人ほど。
シネギャラリーはミニシアター作品をセカンドランで安く、2週間のブロックブッキングでかける映画館。
だから2週間を越えて続映することも珍しければ、もう2ヶ月近くかけてるのにまだ40人入ることも珍しい。

久々に映画というものを実感させられた。
最近は洋画よりも邦画のほうが客が入るようだけど、その邦画といってもたいていはテレビドラマの延長。それが悪いとは言わないけど、ただ映画だから許される演出ってのは確実に存在して。
こういう映画はテレビだと放送事故になっちゃうんじゃないの?っていうような無音の静止画を、堂々とスクリーンに映し出す。
それがまた実に魅力的な、癒されるような宵闇だったりするんだ。


医療崩壊を扱った社会モノ、と聞いてたけど、実際のところ前作「ゆれる」に通じる、こうなんというか個人が抱える心に隠した積極的に明かしたくない部分を紡いで人間を描き切る人間モノだった。
ニセ医者ってのはみんな、実は最初から分かってるんだよな。でも必要だったんだ。いや、必要な人はニセ医者だと分かってたんだ。でも必要だった。
必要なのは医師免状という資格じゃない、ってこの映画では描かれている。必要なのは来た球を打ち返してくれる人。

極端な話が、八千草薫井川遥の病院に入院して幸せか、って話だよ。それってちゃんと来た球を打ち返せてるんだろうか?これは本物の医者には一生どうにも出来ない問題。
でもニセ医者にとってはどうにかできる問題だったりするってラストで描かれていたのが救い。本物の医者は病院職員にはなれないもんね。そんな生産性の低いことは本物の医者は出来ないだろ。
本物の医者には、俺はあんなふうに逃げない、とか言われそうだけど、鶴瓶だって患者からは逃げてないよ。医者の免状がモノを言う良識からは逃げたけどさ。


あと、俺の好きな名脇役香川照之松重豊がそろって出てて、またそれぞれいい味を出してるんだ、これが。
香川照之は製薬会社のプロパー。もともと笑福亭鶴瓶も似たような仕事をしていたということもあって、根っこの部分が一緒、悪い部分も共有。つーか、この人が悪くていい人だから、鶴瓶の悪くていい人具合が一層熟したものになってるんだろう。


松重豊はニセ医者を捜査する刑事。鶴瓶の正体が明らかになるにつれて段々重みを増してくる、いわゆる狂言回し的な存在。松重豊は不器用な大きくて怖い人というイメージが強くて、本人と役柄を同一視してきてたな。ちょっと今までと違う繊細な演技。ともすれば不自然な説明をしたりさせたりという役回りなのに、うまい具合に「お前、なんにも分かっちゃいないよ」と思わせて自然に見せたり。


とかね、あと、この映画って恋愛映画なんだろうか、とか、表と裏と二重の意味を持つシナリオとか、親子間の隠し事の後ろめたさとか、言及したいことは山ほどあるんだけど、それらを書こうとすると同時に俺自身に刃を突きつけられる部分があることに気付かされた。
怖いよ、この映画は。