いま、ここにある風景

サールナートホールで14:25の回。客入りは30人ほど。

久々につまんねーから途中うつらうつらしてしまった。
序盤に「すっげーでけー工場がありますよー」ってなことを数分かけて映し出すんだけど、そういうことで驚ける人が喜ぶ映画。

大体、中国なんて人口が日本の10倍いるわけだし、国土はもっと広いし、工場が10倍大きいくらいじゃ驚かない。ついでに言うと毒ギョーザがどうしたって話も、スケールが10倍ならとんでもない奴も10倍いて当たり前だと思うし、そのとんでもなさが日本人の10倍突き抜けていても当然だと思う。
これは中国の問題じゃなくてむしろスケールの問題。

この映画自体は積極的なメッセージ性を消すように作られているが、こういう映像を見せて何かを考えましょう、って時点で十分なメッセージになってる。
とはいえやはり受け手にはアホが含まれていて、

「どの先進国もやってきたことを中国はやっているに過ぎない」などと認識不足も甚だしい奇麗事

なんて言い出す奴が出てくる始末。
地球は広いし、文化もいろいろ。その中での急速な発展に伴って生じる問題は常に初めての経験で、どの発展もその初めての体験を試行錯誤してるのには変わらないのにね。
中国の発展特有の問題がある一方で、アメリカの発展にはそれ特有の、日本の発展にもまた特有の問題があることに変わりはない。

ちょい話は違うけど、受け手にゆだねるドキュメンタリーって度胸が要る、って話。
靖国YASUKUNI」に対する批判の中で、純粋なるドキュメントなら良かったのに、ってなものがあった。じゃあそういうのを撮ってみようと、8月15日に靖国神社で撮った動画がこれ。

最初はメッセージ性をなくするつもりだったんだけど、開門前から身動きも許されずに並ばされる子供の姿を見て、心が揺らいだ。その姿をそのまま撮影して公開しても良かったんだけど、それを見て「いまどき感心な子供たちだ」とか思う奴が出てくるのをどうしても防ぎたかった。
実際それは杞憂ではなく、チャンネル桜なんかで好意的な表現でレポートしてたりするわけ。

で、そのチャンネル桜で的外れの映画批評をしてるのが超映画批評の前田有一ってところが、日本におけるアホの産出地って限定されてるんじゃないのかと思う理由なんだが。
中国はとんでもないですよ、って日本のとんでもなさを知らずに言えちゃうアホの名産地。

産廃の仕分けがなんだって?
日本だって変わんねーよ。産廃が先に出て先に問題が表面化して解決したからって、いま産廃が出始めた国を見下す資格があるのか?
表面化していない問題を当事者の無知に付け込んで放置してる国によ。