人生なんて平均台だと
製造派遣をはじめとする底辺労働の問題を考える場合、難しいのはそれぞれの出自が違うため、問題を一元化できないってこと。
社会のいろんなところからポロポロポロポロこぼれ落ちた人たちが、底辺に流れ着く。
今日なんかは雨が降ったから安倍川の水量も多いんだろう。その水の1滴1滴は、名もなき山に降った無数の雨であり、それがどこかから染み出て来てるわけでね。
幸せになれる赤ちゃんは銀のスプーンを持って生まれて来るそうだけど、俺は人間は平均台を持って生まれて来るのだと思う。
生まれたと同時に、ピンポン玉を乗せられて、嫌でも斜めに傾けられる。
まっすぐ転がってるうちはいいけどさ。
問題はこの平均台が平均的じゃなくて、人によってぜんぜん違うってこと。
下手すりゃ銀のスプーンどころか金の平均台を抱えて生まれてくる奴とかさ。
泥で出来た平均台を持って生まれてくる奴とかさ。
でも金の平均台だって平均台には変わらない。泥の平均台みたいに雨が降って溶けることはないだろうけど、勢いよくツルツル滑ってピンポン玉が飛び出しちゃったりとかさ。ピカピカに輝く金の平均台に目くらましされて、往々にして平均台を傾ける角度を間違えちゃうよな。
鉄の平均台で錆びちゃったとか、木の平均台で釘の頭が飛び出してるとか、いろんなだよ。
底辺が硬いうちはまだいいんだ、床に落ちても跳ね返って別の平均台に乗っちゃったりすることもあるだろうし。
平均台の問題は、底辺にこぼれたピンポン玉の山に埋もれて考えるべき問題じゃない。
底辺のピンポン山をどうするの?それだけで手一杯でしょ。
平均台の真ん中にあらかじめ溝を掘ってない奴が悪いんだ、って溝を掘った奴は言うけど、溝を掘れなくなったり、その溝から外れちゃったらどうするんだろうね?
平均台に外れないように防護壁を作ったらいいって言う人もいるけど、その高さの設定は難しいよね。平均台だか壁だか分かんない人生になりかねない。
平均台の周りに網を張ったらいいとかってよく言われるけど、網を張ったって落ちたピンポン玉は元に戻れないんじゃないかな。
それよりも先にさ、まず転がってるのが本当にピンポン玉なのかどうか、確認した方がよくなくない?
俺なんか時々、俺の平均台だけ生卵が転がってるんじゃねえかと思う時があるんだわ。