夕暮れが美しい理由

話は昨日見た映画「ヘブンズ・ドアhttp://d.hatena.ne.jp/RRD/20090207/p3の続きなんだけど。
日本版は長瀬智也福田麻由子の肩にもたれかかって死ぬわけだが、オリジナルのドイツ映画ではこんな感じで、マーチンは死んで倒れて、ルディは海を見てる。

で、このマーチンを撮ってみようと海に出かけたわけだが。なにせ静岡は海が近いもんで。あまり考えずに撮ったらこんな感じになったw
海、写ってねーし。


これで初めて気がついたんだけど、相当高いところから見下ろして撮らないと海が入らないね。
ラストの前の4つ前のカット。


階段上った、この丘の上からか。で、望遠効かせてな。
ただ後ろから撮ってるもんだと漠然と思ってた。それに思ったより映りが暗かった。現場はもっと陽が残って明るかったんだけどなー。


静岡の人は夕陽を見てるつもりになってるけど、実は静岡で見てるのは夕焼け。美しい夕陽を見れる場所は少ない。

ここから後の数分が美しいのに高草山に隠れちゃう。それこそ「マジックアワー」が存在しない。
天国では海の話が流行ってるんだってさ。海に沈む夕陽の美しさについて語り合うんだって。静岡市民には無理だね。


夕陽がなぜ美しいのかは、深層心理に訴えるものが大きいからだって聞いたことがある。ヤンキーが紫色に魅せられるのと同じ理由だとか。
その両者に共通するのは、矛盾。
昼行性生物にとって恐怖である夜の訪れる時、その夜が明ける時、夕焼けと朝焼けで同じ色になる。
恐怖である死と、対極にある生、死者は紫になるし、生まれたばかりの子供も紫色だ。
まったく同じ色で、まったく正反対の事象が起きる、この矛盾を受け入れるために、人間は紫色を見ると一種のトランス状態になるんだってさ。
だから特別な感情が湧いたり、特別な思い出が残ったりするんだって。


静岡の夕陽は高草山に隠れてしまって、夜の闇と夕焼けの赤が混じって紫になる部分が極端に少ない。
なぜ夕陽が特別なのか、静岡市から外に出る機会が少ないと、なかなか分からないと思う。
つーか、よほど広い平野か、西に開けた海沿いじゃない限り、マジックアワーなんか訪れないんだよな、日本では。
マスコミで言う美しい夕陽って、実はマスコミのある関東平野には存在しても、他の地域では存在しないところが多いはず。だけど夕焼けを見て「ああ、夕陽きれい」って勘違いして納得しちゃってるんじゃないだろうか?