つながっているという快感

福祉サポートセンター永光の岡本さんと話をしてて思ったんだけど。
http://eikou.eshizuoka.jp/e396873.html


独居老人とか介護施設に入ってるとかそういう人たちを、なんらかの理由で一緒に住めない身内とつなげるボックスみたいのがあって、そこに入るといつでも身内の家の様子が映っていて、バーチャルな同居体験が出来るようなことって出来たらいいなー、みたいなことを岡本さんが言うわけ。


でもそんなのって見守りサービスとか、それこそ携帯電話のテレビ電話でも、いくらでも方法があるじゃん、って最初は思ったんだけど、でもそれはちょっと違うなー、という気がしてきた。テレビ電話なんかだと、しゃべんなきゃいけないじゃん?でも同居するって、積極的なコミュニケーションとイコールじゃないもんね。


それにテレビ電話なんて特にそうだと思うんだけど、画面を見なきゃいけない。でも画面って切り取りの現実であって、決してバーチャルな空間ではないんだわ。
たとえて言うと、テレビ画面でDVDを見るのと、映画館のスクリーンで映画を見るのの違い。
DVDを見てても、画面の外にある現実の他のものは見えるわ聞こえるわ、客の都合でDVDの世界をとめることも消すことも出来る。所詮は客の世界の従属物。
でも映画館って基本は暗闇だからスクリーンの世界がすべて。暗闇の部分をないことにするという作業は必要とはいえ、映画の世界に客が従属する形になる。これを追求したのがIMAXのような、視覚一杯に広がるバーチャルリアリティ映像。


岡本さんの言うボックスつーのは、内部が360度のディスプレイになってるような状態で、必要なのは見守りやコミュニケーションじゃなくて自宅にいるというバーチャル体験。
ただそれだけなら居室の壁紙を身内の家の内部写真に変えちまえばいいだけの話なんだけど、身内の家を動画撮影してネットでつないでディスプレイに映せばリアルタイムで身内の家にいるバーチャル体験が出来るわけで、これはこれで面白そうな話だ。


そう考えると別にボックスである必要はないのかもしれない。
居室にドア大のディスプレイを設置して、ドアを開放して隣室が見えるような感じで、隣室から身内の家を撮影する。これを両方でやれば行き来は出来ないけど、お互いに常に見えるような状態でつながるわけだよなー。
文章だけだとイメージしづらいので、絵にしてみた。画伯で、すみますみませんすみま。説明は要らないと思うけど、左右の四角いのは正確な立方体で出来た部屋で、真ん中の丸いのは地球。それがネットでつながってるという絵。

大事なのは動いたら知らせるとか、異常を検知するとかじゃなくて、つながってるという相互認識なのではないだろうか?めそめそ長電話してる衆とか、めそめそツイッターしてる衆もそういうことを求めてるんだろ?違う?
この、積極的に動かないけど常につながっている快感を逆手に使うと、docomoなんかはソフトバンクを潰せると思うんだけどね。
俺がdocomoの社長だったら、「会話じゃなくてもいい、いつもつながっていたい」なんてコピーで、常につながっているという安心感というものを積極的にアピールする。それを見た若いソフトバンクユーザーに携帯の通話を切らない文化が芽生えたら、ソフトバンクの回線はパンクするぜ?


それはさておき、こういうバーチャル体験の怖いのは、リアルであればあるほど現実に戻ったときとのギャップがショックにならないだろうか、という点だ。
普通に生活してたら突然、「はい、お疲れ様でしたー」って声がかかって、周囲にいた人はみんなエキストラだから帰って行って、スタッフがわらわらと現れて身の回りのものをてきぱきと片付けていって、最後にパチンと照明が消されて、自分だけが真っ暗な中に取り残される、星新一ショートショートでそんなのがあったな。