一億総河原乞食時代のために

えーと。音楽にお金を払わなきゃいけないっておかしくない?

http://anond.hatelabo.jp/20090305221614

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にこうコメントした

RRD 芸能ってのは乞食芸だからねえ。「お貰い」をする人としない人がいる、それだけの違い。「お貰い」で生活すること自体はおかしくないけど、乞食芸への参入障壁があったことがおかしかった。これからは変わるだろう。

ところ、

atawi 増田, 著作権 乞食芸とかいって、なんで芸能を低く見るのかわからんね。

abyssgate 釣り 音楽家とか絵描きなんかを乞食乞食と蔑むやつらがいるが、乞食の芸をタダで見せろと群がったり勝手にコピーしてばらまいてるのは何て呼べばいい?/そもそも乞食という認識から違和感があるけどさ

というコメントがついた。


なんで、と聞かれたから教えてやる。
それはid:atawiが乞食に対して偏見を持ってるからだよ。
俺から言わせれば「乞食芸とかいって、なんで芸能を低く見るのかわからんね。」とかいって、なんで乞食を低く見るのかが分からん。


どうせ人間なんて飾ろうが飾るまいが、正当化しようが正当化しまいが、所詮は糞袋なわけでさ。これは俺のオリジナルじゃなくて、言いだしっぺはお釈迦様な。糞を製造するためには日用の糧が必要で、それは自然から、他人から、「お貰い」するしかないんだよ。人間は全員乞うて飯食う乞食だよ。


つーか、どうも俺は自己中心的に物事を考えるタチで、id:atawiid:abyssgate、あるいはそれにスターをつけたid:david_lynxid:shirasakiみたいに、世の中に偏見に満ち溢れた人間がいるということを失念することがある。「乞食」という単語を持ち出せば、そこで思考停止してしまってプギャーする人も見てるのに「乞食」という単語を持ち出したのはまずかった。


ただ乞食芸という言葉以外に、ゼニと労働との契約的な交換が発生しないつーか、出すのも受け取るのも気持ち次第という状態のことを上手く表せなかった。


つーことをお断りしておいた上で、ちょいと補足したい。
元エントリは、いわゆる逆さ縦読みの釣りなわけだけど、それが釣りとしてなぜ機能するかといえば、著作権というものを懐疑的に考える人が多いからだろう。そして俺もその一人だ。
むしろ現行の著作権は文化の妨げになるとすら考えている。

harutabe 昔は町内一三味線が上手い程度でも宴席に呼ばれて演奏したりしてそこそこ食えたはずだ。ラジオが彼等を殺した。今、我々は世界一三味線が上手い人間の演奏をいつでも好きなときにハナクソほじりながら無料で聞ける。

町内一の三味線ライブと世界一の三味線youtube動画と、比較にならないだろ。
http://www.youtube.com/watch?v=t4vdaUp6MUc
セ三味ストリートをライブで見てみろ、吉田兄弟の動画が何ぼのもんだ!とか言いたい部分もあるけど、それは置いておいて。


録音録画技術がライブを殺したという指摘。技術の進歩が芸を希薄化させるとともに広範化させた。アーティスト本人のプロモーション能力を超えた力が必要になり、そこに参入障壁が生まれた。


著作権は財産権の一種であって、著作者が著作物を支配する権利なわけだけど、同時に既存の業界を保護する側面もあるわけよ。
ベルトコンベア式に著作物を量産し、力任せのプロモーションで良作を駆逐し、知り合い同士の馴れ合いサロン体質の内輪ウケで盛り上がる。いわゆる「低俗なJPOP」という蔑視の根底にあるのは、そういう業界体質への批判なんじゃなかろうかと思う。


そして既存の業界を保護する著作権は、逆にそこからスポイルされた者たちにとっては、著作の(商業的な)価値を貶めるものにはなっていないだろうか?

ブレイクするっていうのはバカに見つかるってことなんですよ。
http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/20090306#p1

有吉弘行がそう喝破したそうだけど、それと同様にアーティストが創作活動でメシを食っていくためには、業界関係者というバカに見つかるというブレイクが必要だ。
そのブレイクが訪れなかったアーティストを失う不幸!
専業でメシを食えるか食えないか、そこが活動継続の基準になる不幸!
職業というカテゴライズに縛られる不幸!


活動の妨げにならないような、あるいは活動を手助けするような収入の道はないものだろうか?
俺が好きだった、消えていったライターや芸人やミュージシャンを思い出すたびにそう思う。
(もっともライターみたいのは今になってひょっこりブログを見つけたりするけどさ)
そして、一筋の道じゃないかと思うものを最近見つけた。


ネットを中心にした無料で提供される創作活動が今後広がっていき、いわゆる「プロ」の単価は下がるだろう。そのときに革命的なムーブメントが起きる。
レディメイドからオーダーメイドへの転換である。


趣味のツボは人により異なる。
俺は俺の書く文章が大好きだ。なぜなら俺の求めるものが書かれているから。
このブログを読んでみろ。え?意味不明だ?大丈夫。書かれてないことも俺には分かる。行間と行間の間が読めるからな。


俺は俺が作る動画が好きだ。

アップしたときにこのブログからはリンクしなかったけど、ダムの動画だ。すごいだろう。
どうだ、真四角のデザイン!圧倒される高さ!幅!このダムの向こうに大量の水が押し込められている、なんて壮大な夢なんだろう!
アップして半年もたつのに54回しか再生されてないけど、俺はこの期間にハードディスクにあるオリジナルの動画を100回以上再生してるはず。


ダム動画っつーと
放水

とか
ダム穴

みたいのがメジャーだけど、そういうのじゃなくて、デーンつーかドーンつーかズーンってのがいいんだよ。
三峡ダムとか、俺の演出で撮ってみたいなー。
つーような、誰も見ないような動画をyoutubeにアップして悦に入ってるわけだ。


これはさ、クリエーターの特権だよ。まあ、クリエーターつったって半年に54回再生だけどさ。
でもdocomoP905iを買って、携帯とはいえ自分で動画を取るようになるまで、こういう快感が世界にあるとは知らなかった。買ってから今日でちょうど1年だ。
それまではyoutubeを見るにしろ、映画を見るにしろ、それが全て、動画ってのはそういうものだと思ってた。
どんなにいい作品でも自分の求めるものとは多少のギャップがある、それは我慢するのが当たり前だと思ってた。
でも違うんだよ。吊るしのスーツじゃない、オーダーメイドスーツのフィット感。
それこそが文化ってもんだろ?


自分好みのオーダーメイドを自分で作れる奴はそれでいいけど、実際動画を作るのも大変でね。
コーデックってなんだクソ!とか、そういう苦労をゼニで解決したい奴も出てくるだろ。
もちろん今だってカネ持ちが道楽で映画作らせたり、テレビ番組作らせたりしてるけど、「プロ」の単価が下がれば、あるいは草の根レベルでクリエーターが増えれば、制作単価も下がるし需要も増える。
そこで初めてビジネスだよ。そこで初めて著作権だよ。


つまり、既存の業界を存続させるためのシステムを含まない、純粋な作品の価値としての著作権だけが守られるべきであり、あるいはそういった新たな著作権の概念を確立すべきなんだ。
現時点で存在する権利でいうと、財産権である著作権ではなく、人格権である著作者人格権だけが保護する価値がある。

最後まで読んでもらってこういうことを書くのは申し訳ないんだけど、途中から自分でなにを書いてるのか、分からなくなってきた。
書き始めたときには小室哲也の詐欺事件を端緒にして「著作者人格権だけが保護する価値がある」もっとはっきりした論拠があったんだけど、ダム穴の動画を見てるうちに、忘れちゃったw
多分、著作物の価値は経済的な価値とは別物であり、財産権として保護するにふさわしくない、とかそんな論理だと思うけど。
思い出したら書き直すわ。ってすごいぶん投げ方だな。